一般情報、ニュース、お知らせ

2021年12月19日

川崎重工業の二輪事業   雑感 

投稿者 : rfuruya

★川崎重工業の株主あてにこんなチラシが送られてきた。
 この半年間の売り上げ比率である。
  
 モーターサイクルの比率が30%を占めていて最大なのである。
 これを見て正直びっくりだし、
 かっての川崎航空機工業の明石工場のロボット・ガスタービンも大きくなったし、
 岐阜工場の航空機を含めると、
 川崎重工業の売上高の50%以上を占めているのである。
 私は昭和32年(1957)に、川崎航空機に入社したのだが、
 当時は新会社設立4年目で、バイクエンジンはやっていたが、
 二輪事業はまだスタートしていなかった時期である。
 私自身が明石出身なので川崎航空機とはいろいろと関係もあったのだが、
 軍事工場だということで戦時中には爆撃を受け、
 まだ事業再開されていない昭和24年(1949)はまだ空襲を受けたままのこんな状態だったのである。
  
 入社して財産課に配属されたのだが、財産課が処分する、戦前の機械や工場の焼け跡の鉄骨が、結構大きな比率を占めていた、苦しい時代だったのである。
 実現はしなかったが、こんな4輪車の開発を手掛けていて
 Zのエンジンの開発担当者であった稲村暁一さんは入社当時、
 この4輪車のエンジン設計に携わっていたのである。
 
★ 川崎航空機工業時代の二輪車関連の推移は以下の通りで、
 二輪事業が本格的にスタートしたのは昭和36年で、
 その年に単車営業部が出来て、私はその新しい単車営業に異動したのである。
昭和28年(1953年)    バイク用エンジンを開発/販売
昭和29年(1954年)    明発工業を設立(出資/提携)
昭和34年(1959年)    川崎航空機工業内に単車部が出来る
昭和35年(1960年)    目黒製作所と提携し販売網を確保
昭和36年(1961年)    カワサキPET及びB7を発売・単車営業部発足
昭和38年(1963年)    完全新設計オートバイB8を発売
昭和44年(1969年)    川重、川車、川航3社合併し、川崎重工業
★そんな川崎航時代は、昭和44年(1969)まで続き、
 3社合併により川崎重工業となるのだが、
 合併当時の主事業は今は殆ど実績のない「造船事業」が主力で、
 単車事業もまだ赤字が続く不安定な時期だったのだが、
 それが継続できたのは、ひとえに「造船部門」が川重全社を支えていたのである。
 そんな時期を経験しているので、
 現在の川崎重工業の事業比率を見ると本当に感慨ひとしおなのである。
 かっては足を引っ張った「単車事業」が今は川重を支えているのである。
 ただ「カワサキ・Kawasaki」は、世界に事業展開した単車事業が、
 世界にその知名度を定着させたもので、
 車両や船が世界に出て行った時期には「カワサキは車両や船も造っているのか」などと言われたという話もあるのである。
 今年はカワサキ二輪事業のスタート60周年だし、
 来年はZの発売50周年なのである。
 50年も経つと、世の中は本当に変わってしまうものである。
2021年12月18日

私のひざ痛対策

投稿者 : rfuruya
右ひざがおかしいなと思いながら走っていたのは11月のことである。
 少し痛みが普通ではないのでランニングを止めたのが11月23日。
 1週間ほど休んだがもう一つなので三木山陽病院に診察に行ったのが12月2日。
 その時は普通の写真を撮っての「先生の診断」は大したことはないだろうだった。
 確かに「大したことはなかった」のだが、
 12月5日に椅子から立ち上がる時に「ギクッ」ときて、
 痛くて歩けなくなってしまったのである。
 この時はホントに痛くて歩けないものだから、
 翌朝救急車で病院まで運んで頂いて、
 MRI写真を撮ってもらったが「骨には異常なし」ということで、
 「ちょっと安静にしとくか」という診断だったのである。
 特別のサポーターと、松葉杖などお借りして、静かにしていたら、
 松葉杖などなくても歩けるようにはなったのだが、
 昨日は、こんな仰々しい格好での診察だったのである。
 
★「日にち薬だから焦らずに」ということで次回の診察は12月30日の年末なのである。
 「焦らずに」と先生は仰るのだが
  年末まであと2週間、じっとしているのも大変なのである。
 「じっとしている」ものだから、体重は85kgになって新記録になってしまった。
 ネットで「ひざ痛対策」など調べていたら
 こんな「百歳まで歩くには」とか
 「安静にすると逆効果・運動で治す」
   「自宅で楽しくできる運動法」などの見出しで、
 いろんな情報がいっぱいなのである。
 
 「安静にすると逆効果?
 「ひざ関節の痛みをとる対処法
 「痛くても動く」などいろいろ情報いっぱいである。
 「時間を持て余している」ので、早速どんな運動がいいのか調べてみた。
★ 以下はネットに出てきた「ひざ痛改善運動」の数々である。
 重複するのもあるが、忘れないように、全部掲載してみる。
 毎朝のストレッチでやってる運動もあるのだが、
 こんなのがいっぱい並んでいる。
 
  椅子に座った運動が昼間にはいい。
         
         
  
  
 こんなお皿のマッサージも載っていた。
 
★ 11月までは朝2時間ほど走っていたので、
  これからは朝走る代わりに、
  こんなストレッチや足の運動をやることにする。
  体重も元通り82kgに戻さねばならない。
  ただ「やり過ぎないように」気を付けてやってみたい。
  12月末の次回の診察時には、どんな状態になっているのだろうか?
2021年12月17日

ウソみたいなホントの話

投稿者 : rfuruya

★ 昨年度のニューイヤー駅伝を制した富士通が、
 その優勝旗が所在不明になっていると発表したという「ウソみたいな話」がニュースに流れた。
 その記事によると、
次回大会に向けて返還準備を始めた先月下旬に判明したという
都内の本社事務所内にケースに入れて保管していて、
6月までは社内にあったのは確認できてるという。
    
富士通によると、
優勝旗は元日のレース直後、開催地の群馬県から東京・汐留の本社に配送
社内で保管していたが、6月に社内のレイアウト変更で優勝旗を管理していた部署を別の階に移動しており、
荷物の運搬作業のなかで誤って廃棄した可能性もあるのだという。
優勝旗を飾っていなかったようだから、
若し箱になど入っていたら、そんなに大きなものにはならないだろうし、
特に目立つわけでもないので、
事務所移動の「ドサクサ」に紛れて捨ててしまったという可能性は否定できない。
事務所の移動の際の物品整理など、いろんな人が当たるので、
優勝旗への関心」など特別にはナイので捨ててしまったのではないかと思う。
盗難」などと記事にあったが、それは可能性は薄いのではないだろうか。
  
★ 大会は文字通り1月1日だから、
 時間もないし改めて新しい旗を創ることもできないようである。
 主催者は「特に大会参加への支障はありませんし、
ペナルティーなどもありません。
ただ表彰式で優勝チームへ渡せる旗がないということです」
 と回答したと言う。
来年以降はどうするのか、従来通りの旗でいいのか、
 それとも時代に合ったものにするのか、現時点では保留です。
 富士通さんの意向も含めて、今後の対応を考えたい」とか。
 主催者は、そんなに慌てた様子もないし、
 主催者がミスしたわけではないのだから、
 確かに特別困るわけでもない。
 大会の運営そのものには何の問題もないのである。
 果たして結果は、どうなるのか?
 来年の「ニューイヤー駅伝」はこんなニュースのお陰で、
 注目度は上がるかも知れない。
 主催者にとっては「話題になるほうがいい」のかも知れない。
2021年12月16日

私のアーカイブス・定年後  その8

投稿者 : rfuruya

2008年は75歳、今から13年前のことなのだが、

 若し日記やブログがなかったら、
 その年に何をやってたかなど「全く解らない
 何となくいろいろと覚えてはいるのだが、
 若い時代と違って、その「あとさき」は全然覚えてはいないのである。
 そういう意味では、日記を書いていたり、ブログをやったりして
 その記録が正確に残っているのは有難いことである。
★ この年は「ミニSL]で始まって「ミニSL」で終わった年とも言えるのである。
 鉄道マニアの福井昇くんから私に「神戸臨港線を復活できないか」というトンでもない話が舞い込んだのだが月半ばのことで、
これは流石に実現の可能性はないが「ミニSL」なら何とかなるのではと、
川崎重工業会長田崎さんにその話を持ち込んだのが1月末だった。
田崎さんはすぐ動いてくれて、
翌日神戸副市長メリケンパーク広場をお借りできないかと申し込んだら、
すぐOKになったのが始まりなのである。
メリケンパークとは、カワサキワールドのすぐ前のこんな広場なのである。
 
そして、11月にはこんな「ミニSL」の走行会が実現したのである。
ミニSLに跨ってるのは「言い出しべえーの福井昇くん」である。
 
 ひょんなことから始まった「ミニSL」だが、
 スタート当時は私も田崎さんも参加して「ミニSL」楽しんでいる。
 
 そして「ミニ鉄道フェスタい in 神戸メリケンパーク」と銘打った
 カワサキのイベントとして定着しているのである。
  
 ほんとにひょんなことから、ひょんなことになるものである。
★ 振り返って調べてみたら2008年はこんな年なのである。
  何だかイベントが続いていて
  三木市役所の若いメンバーや、三木の登山さん、新井さん、草間さんなど
  それに山本隆さんなども加わって、
  こんな三木のこどもたちとの「どこ竹の竹とんぼ教室」を
  三木山森林公園で開催したのもこの年の4月のことなのである。
  「どこ竹の竹とんぼ雑感日記」 と画像検索すると
  こんな写真がいっぱい現れるのである。
  そして、それがこの年の4月だったことも解るのである。
  
 あの肥後守の永尾元佑さんもまだお元気で、特別参加して頂いたのも懐かしい。
 このイベントのお陰で、地元三木のいろんな方たちと出会うことになって、
 私にとっては「新しい世界」に出会ったと言っていいのである。
   
★ 若いころには、毎日のように会っていた山本隆クンだが、
 その後ずっと疎遠になっていたのを、
 何故かこの年から、また頻繁に会うことになった。
 名阪スポーツランドであったモトクロスにも誘われて
 一緒に出掛けているのだが、
 こんな人たちに出会って、VIP待遇でこんな特等席でレースを見ることが出来たのである。
 現役時代から何かと関係のあった名古屋の「斎藤昇さん」とは
 直接お会いしたのはこれが最後になってしまったのである。
    
★ 夏にはアメリカに行った娘が遊びに来て
 7・8月と2か月も滞在している
 次男の真也が小学6年生哲也が2年生の頃だが、
 2年生の哲也は6年生と変わらぬくらい大きいのである。
 
 樋渡啓祐武雄市長に頂いた「がばいばあちゃん」の大人のシャツが気に入って、
 このシャツはボロボロになるまで着続けたのである。
  
 そんな3兄弟も13年経つとこんなに成長するのである。
    ひときわい大きいのが末弟・門野哲也なのだが、
 何故、一人だけこんなに大きくなったのだろう?
 突然変異だとしか、思えない。
 上の二人が小さく見えるが、これが普通なのである。
 
    こんな13年前の2008年、私は75歳だったのである。
 孫たちは見違えるほど変わっているのに、
 私はさほど変わってはいないのである。
2021年12月15日

父の絵 と 私の年賀状 と 孫の絵    雑感

投稿者 : rfuruya

★ 師走である。

 かっては12月は年賀状を書くのに結構大変だった。
 1枚1枚手書きで書いていたので、時間も手間も掛ったのである。
 別に習字など習たことはないのだが、字を書くことは嫌いではなかった。
 橋本関雪に、は関雪の父・橋本海関に習ったというのが自慢だった。
 橋本海関は明石の出で長寿院にはその墓もある。
 我が家とは「遠い親戚筋」だとは聞いていたが詳しくは解らない。
「嘉永五年、明石藩士の家に生まれる。
 父方は剣術師範、母方は儒家の系統という出自もあり、文武に励んで藩校敬義館や維新後は兵庫県師範学校の教師を歴任、
 晩年は明石に居を定めた」というから父はその頃書を習ったのかも知れない。
「現代では息子の関雪のほうが有名であるが、
 当時は海外にも知られるほどの名士であった海関は書画にも深い味わいのある作品が多く、
 播州一円の旧家に多く遺されている。」などとある。
 戦災でみんな焼けてしまったが、関雪の絵も海関の書もいっぱいあったのだが、今は一つも残っていない。
 剣術師範とあるが、ひょっとして明石松平藩の剣道指南番をしていたという
 曾祖父「古谷満平」のことかも知れない。
 阪神大震災で潰れてしまったが、長寿院にその墓はあった。
 「素雪」が父の号で、はないがそのは残っている。
 
★ そんな父の血を引いているのか、
 絵は兎も角、は何となく好きである。
 こんな年賀状を、毎年100枚出していたので、
 12月はなかなか大変だったのである。
   
★ 以前は11月末から12月上旬は猛烈に忙しい毎日を何十年も過ごしていた。
毎年出していた100枚の年賀状を書き上げるのが大変だったのである。
そんな年賀状を出さなくなったのは、2014年に母を亡くして、
印刷した喪中はがき』を発送したものだから、
それで「手書きの年賀状」が途切れてしまったのである。
 実はそれまでは、 個人的に『印刷した葉書』を発送したことはなかったのである。
 「転勤時の連絡・挨拶状」などもすべて自筆で書いていたのだが、
喪中はがき』の発送で『私なりのやり方が途絶えてしまった』ので、
 今までの仕来りも途絶えて『やる気』を失ってしまったのだと思う。
★ それは兎も角、世の中で「年賀状」を出す方の推移はこんなことのようである。
 この表を見る限り、年賀状が始まったのは戦後のことなのである。
 昨今は、ネットの発達もあって急激に低下している。
 
★どんどん減ってしまうこんな状況を見ると、
 時間もできたし、90歳になる年には、
 「手書きの毛筆の年賀状」を再開してみようかなと思ったりする。
 1枚1枚相手の方に対して文章の違ったものを出すのは結構な労度で、
 再開するにはそれなりの覚悟みたいなものが要るのだが、
 若し、90歳も生きていたら希少価値もあるだろう。
 来年は、「翌年90歳を迎える」年末になるので、
 「手書きの毛筆の年賀状」を再開しようかと思ったりしているのである。
 果たして、どんなことになるのだろうか?
 
 それはそうと、アメリカの孫・門野真也
 絵が好きで、こんな絵を毎日アップしている。
  
  何となく、血を引いているのだろうか?
2021年12月14日

渋野日向子 米女子ツアーの出場権を獲得

投稿者 : rfuruya

★昨今の女子ゴルフのレベルは凄いなと思う。
    男子ゴルフよりは世界的なレベルは上かなと思う。
 世界のトップレベルのアメリカツアー出場の資格を取る予選会にも
 古江彩佳、渋野日向子が出場し、ともに来シーズンの出場権を獲得したというニュースが流れた。
渋野日向子は前の日に大きくスコアを落としたたが
 29位から巻き返しを図って通算10アンダーの20位となり、
来シーズンの出場権を獲得したという。
 アメリカで活躍する日本の女子プロゴルファーは、
 畑岡奈紗・横峯さくら・上原彩子・野村敏京・河本結・山口すず夏と6人もいるのだが、
 来シーズンは新たにこの二人が加わることになるので楽しみである。
 
★2人のツアーメンバーデビューは、最速なら来年1月末に米フロリダ州で行われるゲインブリッジLPGAとなるとかで、
来季は11月に日本で行われるTOTOジャパンクラシックを含む34試合が予定されているようだ。
 私は何となく渋野日向子を応援しているが、
 彼女の持つ「さわやかさ」がいいと思っている。
 世間一般にも人気があるのだろう。
 ネットの中には「渋野日向子速報」なるものがあって、
 プレー当日はスタートからラウンドごとのスコアや写真が刻々とアップされるのである。
★ 女子プロオルファーの「美人かわいいランキング」というのがいろいろあるのだが
 「渋野日向子」が2位に入っているランキングもあって、
 2位とは残念だなと思うが、
 そのほかのランキングでも常に上位にランクされている。
 
 それは兎も角、来シーズンはアメリカの女子ツアーが楽しみで、
 出場者が8人にもなると、優勝のチャンスも増えるだろう。
 アメリカの女子ゴルフでは、お隣の国韓国の選手が活躍しているが、
 来シーズンは、日本選手もぜひ頑張ってほしいと思っている。
 とりわけ「渋野日向子の優勝」に期待したい。
2021年12月13日

男の髪型  雑感

投稿者 : rfuruya

★いつの時代にもその時々の流行の髪型はあるのだと思うが、
 昨今のテレビなどで男の髪型を見ていると、
 だんだんと「女性の髪型」に近くなっているような気がする。
 私の年代はあの石原慎太郎・裕次郎兄弟の頃で、
 慎太郎が一つ上。裕次郎が一つ下なのである。
 その頃、いろいろと言われたのが「慎太郎刈り」である。
 
  
 私自身は、あまり「髪型」などには拘らなかったように思うが、
 学生時代は「スポーツ刈り」とも言われた、GIカットに近いアタマで
    
 入社したころもそんなアタマだったが、
 「髪は伸ばせ」と注意されたりしたのである。
★コロナ時代になって、若年男性の間でコスメブームも続いているそうで、
 男性化粧品の「マンダムの社長の話」が載っていた。
  
「コロナ禍前は、ほとんどの男性は鏡越しに自分の髪や顔を大雑把に見る程度だったと思います。
ところが、オンライン会議が普及したことで、パソコンやスマホの画面越しに映る顔のシワやシミ、ニキビなどが気になってケアする人が増え、
新たなスキンケアマーケットが出てきました。
メンズサロンに行く方も増え、総じて清潔感への意識が高い若年男性が増えています。」と語っている。
★ 昨今は整髪料など使う機会はほとんどないが
  こんな商品もマンダムのようだから、
  私もかってはお世話になったことはある。
 
  マンダムとは昔の「丹頂」だったらしい。
 「丹頂チック」など懐かしいが、
 今の若い方は、「チック」など解らないのかも知れない。
  
 「男の髪型」など溯れば神代の昔から延々とその歴史はあるのだが、
  もうこんな昔の髪型に帰ることはないだろう。
  
 ★ 私自身は幸いにして、まだ髪はあるのだが、
 今年は一度散髪屋に行っただけで、
 前のほうは自分でカットし、後ろは伸ばし放題にしている。
 生涯で今が一番、長くなっているかも知れない。
 ただ無精なだけで髪型などに拘っている訳ではない。
2021年12月12日

「株式会社 斎藤祐樹」への ラブ・レター

投稿者 : rfuruya

★日ハムを引退した斎藤佑樹が「株式会社・斎藤佑樹」を立ち上げるというニュースが流れた。
 高校生時代の「斎藤佑樹」くんは兎も角
プロ選手になってからの「斎藤佑樹」にはそんなに関心もなかったのだが、
株式会社・斎藤佑樹」はソフト会社であることから、
 非常に関心をもって昨日あたりから、いろいろとチェックしているのである。
 既にこんなホームページが立ち上がっていて
 
 こんなページが現れるのだが
 
   「ぜひ何かご一緒に。ご依頼はこちらへ 」とあって、
  こんなお問い合わせページもあったので
 どんなことになるかはよく解らないのだが
 私なりの「一文」をお送りしたのだが、
 果たして、返事など頂けるのだろうか?
     
★「株式会社・斎藤佑樹」ではざっとこんなことを考えているらしい。
 このような記述があった。
野球未来づくり。
この度、会社を立ち上げてこれからのキャリアをスタートさせることにしました。
同時に今日12月10日18時からホームページも開設しました。
 考えたのは引退を決めてからなので、正直、まだまだ決まりきっていない部分がたくさんありますし、これから社会勉強していきたいなと思っています。
野球人生のなかで感じてきた問題意識のようなものがいくつもあるので、それに対してなんらかできることがないかを考えて、カタチにしていきたいと思っています。
●野球をする選手やスタッフの働きやすさだったり。
●野球を見る人たちがもっと楽しめる場づくりだったり。
●怪我と向き合うときのメンタルの管理だったり。
●野球をする小中高生の育成だったり。
●選手のセカンドキャリアだったり。
地域との関係性だったり。
それらをより良くするためのアイデアを、さまざまな分野の人や企業の方々と組むことで見つけて、実現していくことを目指しています。
 これを読む限り間違いなく「ソフト会社」である。
 私自身は川崎重工業の二輪部門に40年勤務したのだが、
 最後の10年は国内販売を担当して、
 その時最も力を入れたのが「ソフト会社ケイ・スポーツシステム」だったし、
 定年後も NPO法人 The Good Times を立ち上げて
 いろんな活動をやってきた。
  
★ 私のブログの中に、
  こんな「重工業の中のソフト会社」という一文がある。
 ちょっと読み返してみたがざっとこのように書いている。
 89年2月ごろ『遊びやスポーツの事業化するソフト会社』の設立に熱心に取り組んでいた。
カワサキのバイクは通勤や通学など単なる移動手段にも使うが、
大型スポーツ車が主体なので,ツーリングやレース活動など遊びの要素は大きかった。
単にハードを売るだけでなく、それをどのように使って遊ぶのか
そのノウハウの提供や遊ぶ場所の提供などソフトの分野が重要な部分であった。
そんなソフトを専門に考えそれを事業化する会社の創立を目論んだのである。
この年の4月1日付けで新会社はスタートした。
今、手元に数値資料があるが、初年度から2,3億、2年目には4億、
3年目は5,6億、4年目は7,3億円と順調に推移している。
ベースになったKAZEの会員も2000人からスタートして、最盛期5万人までになったのである。
この年会費だけでも億の単位になった。
そこで得たソフトのノウハウはこれは知識として身についている。
販売は無理なく自然に売れる仕組みを造ることが第一で、一生懸命売ろうとしてもダメだと思っている。
遊んでいて自然に売れるそんな仕組みに乗っかっていれば楽しいのである。
★ 「株式会社・斎藤佑樹」はソフト会社でその扱う対象は、
 バイクではなく野球なのだが、私自身も中学・高校・大学と野球一筋だったから、
 野球に関する「ノウハウ」は人並み以上にはあると自負している。
 「野球のソフト化」はこれはバイク以上に底辺が広いし、
 このソフト会社は間違いなく「成功する可能性大」である。
 大学卒業後、プロ野球ではライバル田中に大きく水をあけられたが、
 世間でもまだ珍しいこの「野球のソフト会社」では斎藤佑樹クンは、
 世の中の注目を集めて、トップランナーとして走ることが可能だと思う。
 そんなことで、88歳のおじんが経験した「ソフト会社のノウハウ」や
私の情報発信システム」、さらには私のツイッターの「50万人のフォロワーなどを上手にお使いになればいい。
ツイッターの「50万人のフォロワー」の数はちょっとした「地方新聞」と同じだから「情報発信力」としては相当なものだと思う。
 Kawasaki. Let The Good Times Roll!
 カワサキにお会いになる方がハッピーになるような活動を続けますという
 カワサキのミッションのように、
 Furuya. Let The Good Times roll !
   私にお会いになる方が「グッド・タイム」になればいい。
 これは NPO The Good Times の基本コンセプトなのである。
★ 斎藤佑樹さんのホームぺージにあるお問い合わせフォームですでにご連絡し
 「明日の雑感日記」に「株式会社・斎藤佑樹」のことを書くので、
 ぜひ「ご覧になってみて下さい」と送ってあるのだが、
 果たして、斎藤佑樹くん、ご覧になるだろうか?
 こんなふとしたことが、人の繋がりのチャンスであり、
 その人の持っている「」みたいなものだと思っている。
 私は88歳のおじんだが、することだけは現役時代と同じく早いのである。
 12月10日18時からホームページはオープンしたというから、
 多分間違いなく「私の一文」は届いているはずである。
 このブログは12月12日の朝には発信される。
 お問い合わせには次のように書かれている。
 「お問い合わせいただき、誠にありがとうございました。
内容を確認させていただいた上で、おってこちらからご連絡いたします。」
 とあるのだが、「追って」というのはいつになるのだろうか?
 「ソフト会社」などある意味「時間の勝負」みたいなところがある。
 野球選手らしく「投げたボールはすぐ打ち返して欲しい」ものである。
    先ほど私のメールに返信はあった。
 「株式会社斎藤佑樹に、WEBサイトから以下のお問い合わせをいただきました。 おってご連絡いたしますので、しばらくお待ちください。」
 とあるから、間違いなく届いてはいるのだが、ご本人が見ての返信ではないようにも思う。
 ただ、届いていることは間違いないのである。
 以上が、私が送った「株式会社・斎藤佑樹」へのラブ・レターなのである。
2021年12月11日

膝は痛くはなくなったが・・・

投稿者 : rfuruya

★ 突然膝が痛くなって歩けなくなり、病院に診てもらいに行ったのは、
 12月6日だったので、1週間経ったことになる。
 病院に行ったときは、
 骨に異常がないかということと
 歩くことが出来なかったので松葉杖を借りたいという2点だった。
 それに対しての診断は
 骨には異常がない
 「日にち薬」だからじっくりあせらずにということで、
 松葉杖もお借りすることが出来たのだが、
 そのほかに1点、特に詳しい説明もなく足のサポーターをしていただいて
 「立ちやすいだろう」ということだった。
 
 一般のサポーターと違って足首から太ももまでなので、
 このサポーターをすると足は固定されて膝は曲がらなくなる。
 確かに足は確りするのだが、
 ずっと「つけているのか」・「歩くときだけなのか」など聞いてくるのを忘れていて、
 「膝の痛さ」は取れたのだが、どうすればいいのか解らないので
 つけたり、外したりしている。
 ネットで「膝のサポーター」と検索すると
 こんなサポーターが現れるが、
 膝が曲がらないようなサポーターは出てこない。
 「膝は温める方がいい」とはあるのでしていた方がいいのかも知れない。
 松葉杖は重宝している。
 もう「歩ける」のかも知れないが、痛みがぶり返しても困るし、
 動くときは松葉杖のお世話になっている。
 使い方にも慣れて結構スムースに動けている。
  
 次回の診察は16日(木)なのであと4日ほどあるのだが、
 それまで この大層なサポーターを付ける生活が続くのだろう。
 前回、アップした時はホントに沢山の方から
 お見舞いと励ましを頂いたのだが、
 1週間経って、自分では「順調な回復」だと思っている。
 外での運動はできないので、
 家の中で「ストレッチ」と「パンダ碁」ばかりを打っている毎日が続いていて、
 昨日あたりからバイシクルもやっている。
 多分、松葉杖がなくても歩けるようになったとは思うのだが、
 またバシッと来て痛みがぶり返してもと思うので、
 こんな大層なサポーターを付けて、今日も松葉杖で家の中を歩くことになるのだろう。
 次回の先生の診断の時には、もう少しいろいろと
 聞いてみようと、メモ書きなど作って書き込んでいる。
2021年12月10日

私のアーカイブス・定年後  その7

投稿者 : rfuruya

★ 2007年74歳のこの1年を日記を見ながら、時系列でちょっと追っかけてみる。
● TomとLove この年で12年目になる柴のつがいがいたのだが、
 この年の元旦のブログはこの「Tom &Love」で始まっている。
 まだ、写真の貼り付けなどは、とてもできなかったのだが
 この元旦にこんな写真が載っているのは、自分でやったのではなくて
 正月にやってきていた孫・古谷仁がやってくれたのである。
● 前年度から三木の市政のお手伝いみたいなことをやりだしているのだが、
 市長とばかり話してても面白くないので、
 「若手を集めてくれますか」とお願いしたら、16人ほど集まった。
 そんな若手たちとそれ以来、いろいろなことを始めている。
 今思うと私も「若かったな」と思ったりする。
 この日が2月1日だった。
● 4月22日には三木アネックスパークであった「ビンテージMX
 かっての日本のトップライダー荒井市次と山本隆が現役さながらのデッド・ヒートを見せてくれた。
 TOPライダーは歳をとっても流石である。
 
● 「カワサキの岩崎茂樹のことを書いたブログ」に
 熱心なカワサキファンの登山道夫 さんがコメントされて繋がったのだが、
 登山さんの緑ヶ丘のお宅を訪ねたのがこの年の5月14日なのである。
 これが登山さんとの親密なお付き合いの始まりで、うも14年にもなるのである。
● 前回アップしたった武雄市長の樋渡啓祐さんとは「武雄市長物語」というブログで繋がって、
 お互いのブロブの中で繋がっていたのだが、三木市と武雄市が業務提携をすることになって、
 樋渡さんが三木にお越しになったのが5月21日なのである。
● 定年後始めた薔薇はこの時期は至極熱心で、
 これは義弟が写してくれた写真の一部だが6月にはこんなに咲いていた。
  
● ゴルフもまだ40台は普通に回れていて
 6月22日三木市のシルバーコンペでは優勝はできなかったが
 44・39=83で断トツのベスグロ賞を頂いている。
 多分これが私の最後の30台の記録だろうと思う。
● 夏から秋にかけては家内はアメリカの娘のところに出掛けるのが、毎年定例化していて、
 この年は8月13日~9月20日まで、その間私は独身生活なのである。
● 私もこの年は10月に息子が北海道に「サケ釣り」に行こうと
 誘ってくれて久しぶりの北海道だった。
 息子が小学生時代は私がフナ釣りなど引っ張りまわしたのだが、
 息子は釣りにハマってしまっているのである。
● この年あたりはネットでは兵庫県のポータルサイト「ひょこむ」に加入して、
 熱心にメンバーを集めて活動している。
 今は全然ご無沙汰で、ログインの仕方も忘れてしまったが、
 日記には「ひょこむ」のことがいっぱい出てくるのである。
  
● 11月14日、13年近くいた 愛犬Tomが死んでしまった。
  晩年は元気がなくなって可哀そうだったが、
  娘の長男が生まれた年に家に来たのだが12年間、
  殆ど毎朝散歩をしていたトモダチだったのに、
  Love1匹になってしまったのである。
● 大阪府知事に橋下徹さんがなるということで
 「橋下徹さん」のことを追っかけだしたのがこの年の12月のことなのである。
★ ざっとこんな1年だった。
  今までは学校時代の友人とそれ以外はカワサキのそれも二輪の世界の方たちとのお付き合いが中心だったのだが、
 この年あたりから、初めて普通一般の社会の方たちとのお付き合いが始まったと言っていい。
 それも三木市長さんを中心にした三木市役所の若手諸君
 三木市民の方とのお付き合いも始まったし、
 カワサキZの熱烈なファンの登山道男さんとも出会って、
 私にとっては74歳にして、初めて「新しい世界」に入ったと言ってもいい。
 全くの運動部育ちだから、
 私の対外的な対応の基本は世の中の職位などには関係なく、
年上の方」にはそれなりの敬意を、「年下の方」には思いやりをもって「気安く」という徹底したものだったのである。
 一般社会の方との初めての対応が「三木市長」と「武雄市長」という社会的な肩書としては大変な方だたのだが、
 後輩であることは間違いないので、今まで通りで対応したのだが、
 それは結構そのままで通ったのである。
 幸いにして、それ以降今までのお付き合いも
 殆どの方が、私よりはお若いので「気安く対応」することが出来て助かっている。
 逆に若い方から見ると88歳のおじんは「とっつきにくい」と思われるかも知れぬが、
 どなたとでも「気安く喋ることが出来る」のは特技なので、
 若い方たちとの対応も、自分では「大丈夫」だと思っているのである。
 こんな私にとっては「新しい世界」に入って行ったとも言える1年だったが、
 日常生活ブログ薔薇ストレッチ&散歩とたまにゴルフ
 といった1年だったのである。

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