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2022年1月7日

正月の風習    雑感

投稿者 : rfuruya

★ 日本の正月の風習はいろいろあるのだが、だんだん薄れていくのかも知れない。
 私自身はこども時代を外地で育って、
 日本でいう「お祭り」はなかったし、
 新年の「初詣」なども神社がなかったので経験がないのである。
 なぜか「お年玉」も貰ったことがないし、
 所謂、内地の正月とは違ったものだったような気がする。
 戦後、日本に引き揚げてきたのが12月8日だが、
 その1年目の正月は本家も戦災で焼けてしまっていて、
 田舎に疎開していたのだが、その正月は「おせち」などなかったのだと思う。
 兎に角「食糧難」の時代だったので「おせち」どころではなかったのだと思う。
★ 今年の「年末年始」は孫・二人もいて4人家族で「おせち」で祝ったが、
 それ以外の我が家の正月の風習ととしては
 「しめ飾り」を玄関に飾ったのと「年賀状」ぐらいかも知れない。
 
               
年賀状」は兎も角「しめ飾り」をしているおうちは、
 近所でも我が家ぐらいで、殆どの家にそれは見られらないし、
 少なくとも家並みを眺めた限りでは、普段と全然変わらない。
 旧い三木の町には神社はいたるところにあるのだが、
 ここには神社なるものは存在しない。
 だから正月の風習として残っているものは、「おせち」と「年賀状」ぐらいで、
 そのおせちもいつのころからか、家で作るのではなく購入するようになって、
 それもだんだんと少なくなって、今年は1段の小さいのを人数分用意しただけである。
 「おせち」そのものがそんなに美味しいものでもないようにも思うし、
 何日も「おせち」ばかりを食わされるのは有難迷惑なのである。
 我が家もおせちは元旦の朝だけで、昼は回転ずしを食いに行った。
 元旦なのに、お客はいっぱいだったから、
 「おせちより回転ずし」という人も普通になってきているのだろう。
★「年賀状」は毛筆で100枚すべて手書きで書いて出していたのだが、
 母が亡くなって喪中はがきを出したのを機会にそれ以来止めてしまって
 もう10年近くになる。
 「年賀状」の風習はいつからなのか?
 今のような年賀はがきが出たのは戦後のことだから、
 戦後の風習かなと思ったら
 
 「年賀状の起源」と検索すると
 年賀状は平安時代から始まったとされています。
 平安時代の貴族、藤原明衡がまとめた手紙の文例集の中に、年始の挨拶の文  例があり、これが残っている最も古いものです。
 江戸時代に入ると、今の郵便の先駆けとなる「飛脚」が充実し、庶民が手紙で挨拶を済ませることも増えていきます。
 現在のようなはがきスタイルになったのは、1873年(明治6年)に登場した官製はがきがきっかけで、明治20年前後には、年賀状を出すことが年始の恒例行事となります。
 その後1949年に、いち民間人であった林正治氏からのアイディアで、お年玉つき年賀はがきも登場しました。
 とあってその起源は、平安時代に遡るようである。
 然し一般化されたのは戦後の話で、
 一時は多くの人が出していたのだが。
 最近は年賀状を出す人は50%まで下がっているという。
  
 私は今は出さないのだが、今でも20通以上の年賀状が届くので、
 ネットでご返事できる方はFacebook でご挨拶するのだが、
 それ以外の方にはペン書きで、それぞれの方に、
 それぞれの文面で、お礼のハガキを出している。
  
  そのハガキ文面も松の内とそれ以降とでは異なるようで、
  1月8日以降は「寒中お見舞い」となるのである。
  例年は15日になってからゆくりと出していたのだが、
  今年は初めて「松の内」の間に出したので、
  「おめでとうございます」でいいのだそうである。
  そんな日本の風習も、若い方はだんだんと年賀状を出す方が少なくなているようで、
  その理由としては以下のようなことで、尤もだと思うのである。
 ●メールやLINE、SNSの普及により年賀状を出す人は年々減少している。
住所を知らない方が増えたため年賀状を出さずにLINEなどで済ます。
●また、1人1人に送らずにSNSで挨拶するのも近年、主流となっている。
●平成が終わるのと同時に年賀状を卒業する人も増え、減少傾向にある。
 正月の風習もなかなかムツカシイが、
 あと10年もするとずっと変わったものになるのかも知れない。
2022年1月6日

私のアーカイブス・定年後  その10

投稿者 : rfuruya
「私のアーカイブス・定年後」ちょっと休んでいたが再開である。

2011年は、潮流・海流発電という壮大なコンセプトに共感して、
三木の「ノヴァエネルギー」という個人企業の応援を始めた年である。
潮流・海流発電とは風力発電と同じような理屈なのだが、
24時間流れ続ける「黒潮」の利用は、風が吹かねば発電しない風力発電と違って、
24時間コンスタントに発電し続けるコンセプトは素晴らしいと思ったのである。

潮流・海流発電とはこんなイメージで、
10年前にすでにこんなイメージはあったのである。

この「ノヴァエネルギーの潮流発電」は環境省の認可も取れたし、
当時は川崎重工業も一時興味を示したのだが、具体的には動かなかったのである。

この雑感日記にも当時は潮流・海流発電というカテゴリーを造って、
いろいろと応援していたのだが、
この年の6月には「潮流発電 造船工業会動くかな?」という記事もアップしていている。

その記事には大要こんな風に書いている。

造船工業会、新会長風力発電に意欲 』と言うニュースが流れた。
日本造船工業会の会長に就任したIHIの釜和明社長が記者会見し、
造船以外の有望な事業として再生可能エネルギー分野を挙げ
「洋上風力発電や潮流発電、波力発電などに挑戦したい」との意欲を述べた。

潮流、海流発電は、既にノヴァエネルギーが淡路島の岩屋での実験を昨年来続けているが、
幾らそのコンセプトが良くても小さなベンチャー企業が『事業化』を目論むことは現実問題として難しい問題が山積しているようである。
海流発電、その黒潮の幅は100キロと言う壮大さである。
是非、頑張って欲しいと思っている。

造船工業会、ホントに動くかな?
と書いているのである。

★それから10年経った現在、どうなっているのかと思ったら
そのIHIが具体的に動き出しているようである。

やはり私が思ったようにこのコンセプトは本当に素晴らしいと思う。
IHIはこのように説明しているのである。
海流は昼夜や季節による流れの速さ・向きの変動が少なく安定しており、
年間を通じて安定的に大きな発電量が期待できる

★2010年は77歳・喜寿の年である。
はまだ元気で101歳を迎えている。
当時は月のうちの半分以上を老人ホームのショートステイに行っていた。
まだ独りで歩けていたから、老人ホームの車いすの人たちを見て、
元気を貰っていたようである。
昨今は通称「特養」はなかなか入れないのだが、
母の時代は、特別養護老人ホーム が出来たばかりの頃だったので、
勧誘されて資格を取れたので、歩けても「特養」が利用できたのである。

家内も元気で8月初めから、約2か月アメリカの娘のところに遊びに行っている。
そんな二人が留守の時は、私は独りで気楽に独身生活を楽しんでいた。

15年ほどいた柴犬トム・ラブも前年にトムが、
そして、この年の2月にはラブも亡くなってしまって、
毎朝の犬の散歩という日課もなくなってしまったである。

 

★そういう意味では「生活の環境」が変わった年だと言えるのかも知れない。
この年に2台目の新しいパソコンを買っている。
ネットの世界に入れ込み始めた年だったと言えるのかも知れない。

この年からツイッターを始めているし、
そのフォロワーを一生懸命集め始めているのだが、
その目的は、私の「情報発信先の拡大」を目指したのである。

この頃のツイッターは1日1000人ぐらいはフォロー出来て、
1000人フォローすると500人ぐらいのフォロー返しがあるので、
1か月で1万人ぐらいのフォロワーの獲得ができるので、
この年の年末には10万人以上のフォロワーとなっているのである。

   
因みに、私のツイッターのフォロワーは現在50万人もいるのだが、
1年に10万人を集め続けたら、
5年目には55万人ほどのフォロワーになったのである。
それが6年目あたりからツイッターのルールが変わって
そんなにたくさんのフォローが出来なくなってしまったので、
50万人で止まっているのだが、
その数値は有名人を除く一般人では全国でも20位以内に入るレベルなのである。

実は、ツイッターのフォロワーを増やそうと思ったのは、
ノヴァエネルギーの潮流・海流発電の応援」がきっかけだったのだが、
その後、いろんな展開のために5年間も続いたのである。

 2011年は『潮流・海流発電』に終始した年だとも言えるのだが、
 そのコンセプトをIHI実現に向けて頑張っているのは、
 私としても嬉しいことなのである。

2022年1月5日

スロージョッギング再開

投稿者 : rfuruya

★ 昨年11月23日から、右ひざが痛くて毎朝のスロージョギングを止めていたのだが、

 膝の違和感もなくなったので、
 仕事始めに合わせて、再開することにして
 日の出とともに三木綜合防災公園でスタートした。
 
 久しぶりの林間広場である。
 時間が早かったので誰もいない「独り占め」の状況だった。
 ずっと、ストレッチと筋トレは続けてうぃたので。
 そんなに問題なく再開できると思ったのだが、
 実際に歩いてみると、
 なかなか、スムースには歩けないのである。
 やはり1か月半も歩かないと「歩く筋肉」が弱ってしまっていて、
 両足の腰の下、足の付け根のところが左右とも同じところに違和感がある。
 それでも右ひざの痛みは全くなくなったので、
 気持ちよく3000歩ほどは歩いて、
 ちょっとだけスロー・ジョッギングをやってみたが問題はなかった。
★ この1か月半で体重は85.5キロまで増えてしまっていて
 元の体重まで3キロも落とさぬといけないのだが、
 一度に頑張っても、いろいろ問題もあるだろうから、
 焦らずにじっくりとやることにした。
 それでも40分ほどは公園にいて、
 下の広場から久しぶりに丹生山を眺めてきた。
 
 寒いけど、やはり外の空気は気持ちがいい。
 この後、明石の長寿院まで新年の墓参に行ってきた。
 令和4年、2022年も三が日も終わってこんなことから始まった。
 今年もこの雑感日記スロージョッギングも休まずに続けられるよう
 頑張りたい。
2022年1月4日

鎌倉の孫・古谷仁

投稿者 : rfuruya
★ 大晦日の日に突然やってきた鎌倉にいる孫・古谷仁だが、
 何を思ってやってきたのか、突然やって来て突然戻って行った。
 1993年1月生まれだから、
 1933年3月生まれの私とはちょうど60歳離れていて、
 今年29才である。
 29歳と言えば、私は結婚した年なのだが、
 そんな気配は全くない。
 朝早く「また来るね」と言って、新神戸駅から戻って行った。
  
 朝新神戸駅に送る車の中でちょっと話をしたぐらいのようにも思うが、
 使い方を忘れてしまって投稿することが出来なかったInstagramだったが、
 その投稿の仕方を教えて、
 何とか投稿できるようになったのが、収穫と言えば収穫である。
 
 この6枚の投稿は、年末から練習用に投稿し、
 最後の1枚は今朝の新神戸駅での写真だから、何とか投稿が再開できそうである。
 今年は毎日1枚は、Instagramに投稿することにしよう。
 私のパソコンの技術は「そんなレベル」で毎日やっていないと出来なくなってしまうのである。
 そういえば、もう15年以上も前のことだが、
 ブログへの写真の投稿の仕方は、
 その時の正月にやって来た仁に教えて貰ってできるようになったのである。
 これが20歳、成人になった時の古谷仁だが、
 まだ慶応の学生だった時である。
  
 殆どイメージは変わっていないように思うが、
自分の思うような人生」を歩いているようにも思う。
 この9年間に結構いろいろな経験を積んで、
 ちょっと普通の若いやつとは差別化できてるのかな?とも思うし、
 それができる「いい運勢」を持っているのかも知れない。
 学生時代はストリートダンスに凝っていろいろやっていたのだが、
 単に凝っただけではなくて、1年卒業を延ばして
 世界中を飛び回って、アメリカでも、インドネシアでも、ヨーロッパでも、
 街の人たちとダンスを踊って、こんな卒論集にしているのである。
 
  その時私がアップした雑感日記である。
  今思っても、なかなかそんなことは普通ではできないのだが、
 「それが出来た環境」にいたことが、彼の持ってる運かなと思ったりする。
 5年かかって大学をやっと卒業したのに、
 すぐには就職せずに、「ダンスの世界」にハマってしまって
 日本国中の著名ダンサーをインタビューして、
 こんな冊子ripple room・2冊にまとめて出版しているのである。
 「古谷仁・ripple room」と検索すると、
 こんな写真などいっぱい現れるし、
  
 こんな著名ダンサーの写真も現れるから、
 この業界ではそれなりの評価を得たのかも知れない。
  
 さらにそのあとは、
 このように発酵デザイナー 小倉ヒラク氏の書生として、紹介されていたりしたが
  
 この時期で、大学卒業後3年も経っていて
 ほんとに「どんな人生を歩くのかな」と思っていたのだが、
 私自身が『差別化』は人生の目標でもあったから、
 こんな古谷仁の生き方もいいかなとは思っていたのだが、
 突然「RECRUIT」に就職して、
 今は「RECRUIT」の社員なのである。
 大学卒業後3年も自由な生活をしていて、
 突然、「RECRUIT」の社員になれたのも、
初めての就職」という条件があったので、応募したら受かったそうである。
 名刺には「制作デイレクター」とあるが、
 説明を聞いてもどんな仕事なのか、よく解らない。
  
★今回三木にはこんな「モノノメ 創刊号」を持ってやって来た。
いまのインターネットは「速すぎる」。
いま必要なのは、もっと「遅い」インターネットだ。
 こうしてはじまった「遅いインターネット」計画。
そして、2021年。
この運動の次のステップとしてあたらしい「紙の」雑誌を創刊します。
 などと書いてあって、ちょっと斜めに読んでみたが、
 ちょっと私にはよく解らない。
    
雑誌の名前は「モノノメ」にしました。
由来は春の季語の「物の芽」で、いろいろな植物の芽の総称です。そしてそこに「ものの目」という意味も込めました。僕たちはいま、人の目のネットワークの中に閉じ込められているところがあるので、別の目で世界を観てみたい。そんな思いを込めています。
コンセプトは「検索では届かない」。
タイムラインの潮目を一切無視した、ほんとうの意味でのインディペンデント・マガジンを目指します。 ・・・・・
 などと書いてあったが、こういう文章は私は苦手なのである。
 何となく解ったような気もするが、ホントは解っていないのである。
★ 何年ぶりかで会った古谷仁だが、
 ずっと机の前に座って、タブレットで何かやってたし、
 持ってきた本など読んでいた。
 今回は元旦に食った「回転ずしの支払い」を仁がしてくれたのが、
 一番印象に残っている。
 そのうちに「お年玉」をくれるようになるかも知れない。
 ネットの世界ではFacebook などに、たまに「いいね」をくれるので、
 何となく会っているような感じでいるのだが、
 今度はいつやってくるのだろう。
 今年も三が日は明けた。
 娘のほうの孫の長男・門野力也は5日までいるらしいが、
 別に「何をする」でもないのだが、
 家内と二人だけよりは、誰かがいると何となく雰囲気も違ってくる。
 賑やかでもなかったが、いい年末・年始だったと言っていい。
2022年1月3日

アメリカの元旦 と 仕事はじめ

投稿者 : rfuruya
★ アメリカは1日遅れで今日が元旦である。
 Irvineにいる娘家族とLine電話で、長電話。
 画像も映るし、アメリカも近いものである。
 これがアメリカの元旦か?
 と思うような日本のような献立である。
 
  お雑煮も結構本格的だが、
  多分、材料は日本の倍ほどもしたのだろう。
     
 ★毎年家族で出かける恒例の初日の出、ここはどこかな。
 4人家族なのに、
 いつもお父さんは写真の「蚊帳の外」である。
       
   でも、こんな高級Fitbitを次男にプレゼントして貰ったらしい。
 是非、今年はトレーニングに励んで、体を絞ってみて欲しい。
★ その次男の門野真也と私は長電話。
 こんな風に後ろにはユニーフォームが映っているが、
 本職サッカー選手で、炭水化物を口にするのは今日までで、
 明日からは本格的なトレーニングに入るとか言っていた。
 
 そんな彼だが、「毎日てっちゃん」はそれこそ毎日、
 2年間も続いていて、今年もこんな具合にもう始まっている。
 
 毎日大変だな、と思っていたら、
 そんなに大変でもないと言うのである。
 どれくらい掛かるのか?と思っていたらものの10分ほどで完成する。
 それを最初からLine の電話で、その制作過程を見ていた
 写真に撮ったのでそれを紹介すると
 まず、こんな下絵から始まる。
  
 それがこんなになって、
 こんなのがちゃんとなるのかと思ったが、
 色がつくと、全然見栄えが違うのである。
 どうなってるのかよく解らぬが、一瞬で色が塗れる
 そして、こんなになって
  バックも色がつくとこんなになる。
 そして、絵はこのように出来上がって、
  このように、文字を入れると出来上がりである。
  ちょうど10分ほどで完成して、
 
 すでに今年は、3枚目で並んでいる。
 
★ どなたのDNAか、不思議な才能を持っているものである。
 サッカー選手をクビになっても、
 漫画家でいけるかも知れぬし、
 以上に自分では「料理に自信あり」のようである。
 何事も便利な世の中になったものである。
 ネットではこんなに簡単に絵が描けるとは思いもよらなかった。
 新年早々、「新しい知識の導入」が出来てよかった。
 門野真也は不思議な性格の持ち主で、
 他人が頼むと、つまらぬことを懇切丁寧に教えてくれるのである。
 上記はその中の一部で、手元には倍以上の写真が残っている。
 私のために、「毎日てっちゃん」の1月2日分を最初から画きながら
 披露してくれたのである。
 「仕事はじめ」は1月2日からだというので、
 これが私と孫の今年の「仕事はじめ」だったのだろう。
2022年1月2日

令和4年元旦

投稿者 : rfuruya
★ 令和4年、2022の元旦は静かに明けた。
 車を運転するので、朝はお屠蘇抜きで祝った。
 孫二人、古谷仁と門野力也を交えて、家内と4人今年1年の始まりである。
 鎌倉の息子が挨拶の電話をかけてきて、
 それをLine の電話に切り替えたので、新春そうそう賑やかな会話が続いた。
 声だけでなく、姿が映るのは隔世の感がある。
 そのあとアメリカの娘のところには、こちらから電話した。
 アメリカとの通話が無料で時間制限なしでできるというのは
 かっては考えられないことだった。
 40年ほど前は、会社からアメリカに通話したら
 ちょっと長く話すと10万円も掛った時代を生きてきたのである。
    そのアメリカの孫・門野真也が画き続けている「毎日てっちゃん」、
 先方はまだ大晦日の夕食前なのに日本時間に合わせてすでに正月版が出ていた。
  
 この2年間、毎日画き続けて今年は3年目に入るのだが
 この調子なら3年目も大丈夫、画き続けることだろう。
 こんな継続性のあるところは、私に似たのかも。
★ 昼前に神戸の実家に挨拶に行く孫・門野力也を緑が駅まで車で送って、
 その足で、家内と孫・古谷仁との3人で回転ずしを食いに行った。
  
 スシローはちょうど12時からの開店で、
 番号札を取ったら「001番」だった。
 何事も1番は気持ちがいい。
 
 朝おせちを食った後なので、大して食えなかったのだが、
 ここの払いは孫・古谷仁 が払ってくれた。
 「孫にオゴッテ貰った」のは人生で初めての出来事なのである。
 これは、多分いつまでも忘れないだろう。
 孫と言っても「給料取りの孫」だから、
 考えてみると、それもそんなに不思議なことではないのかも知れない。
 
★ 年賀状を出さなくなって、もう何年もになるのだが、
 いまだに年賀状がたくさん届くのである。
 現役時代いろいろと関係が深かった方たちからである。
 そのお名前を見るといろんなことが思い出される。
 そのほかに、定年後お付き合いが始まって、ネットでも繋がっている方々からもご丁寧に届いている。
 年賀状を見ると、正月だなと思う。
 Facebook  では、100人を越える方からのご挨拶や「いいね」が届いた。
 今は超有名人のお一人である樋渡啓祐さんからも「いいね」を頂いたので、
 樋渡さんのFacebookにお礼のコメントを寄せたら、
    
  樋渡さんからこんな嬉しいコメントが戻ってきた。
  樋渡 啓祐
  古谷錬太郎 さん、高槻市時代に注目してくださったのは古谷さん以外いなかったです。
  あの頃の私への高い評価が自信につながりました。
  引き続きご指導ください。どうぞよろしくお願いいたします。
   
 まだ、樋渡さん総務省から高槻市役所に出向されてた当時のことで、
 そのホームページで出会った「樋渡啓祐」さんに繋がったのである。
 お会いしたこともなかったのに、私の「猛烈な片想い」だったのである。
 このブログ雑感日記も、当時樋渡さんがホームページに寄稿された一文、
 「ブログ・ブログ・ブログ」を見て、書き始めたそんなご縁なのである。
 もう17年も前の話である。
★ 午後、息子の嫁のノンちゃんから小さな荷物が届いた。
 仁に持たせようとしたら、重いからと仁が自分で郵送したらしい。
 「郵送代は俺が払った」と妙なところで威張って言うである。
 鎌倉の銘菓「クルミッ子」や
 
 横浜の「うさぎ餅」などいっぱい詰まっていた。
 早速、お相伴させて頂いた。
 
 いいお正月だが、少々食い過ぎでまた体重が増えるかも知れない。
 そんなことで、「夜はサラダ」だと言っているが、
 どんなことになるのだろう?
★ こんな今年1年の始まり、元旦のいい1日であった。
2022年1月1日

謹賀新年

投稿者 : rfuruya

★ 令和4年の新春を迎えました。
  今年は3月に89歳を迎え、80歳代最後の年なります。
  今年も精一杯頑張って生きたいと思っています。
                     
  手書きの年賀状を出さなくなって、もう何年かになります。
  Facebokなどネットの世界では沢山の方たちと
  新年のご挨拶を交わすことになると思います。
  今年は孫の古谷仁が我が家にやって来ていて、
  こんな賀状を手渡されました。
  昨今の年賀状はいろいろです。
       
  ★ 今年はどんな年になるのでしょう?
  コロナは3年目に入りますが、今年あたりで終わるのでしょうか。
  いずれにしても、あまり街中などには出ない静かな生活に慣れてしまいましたので、
  今年も同じような1年になるのだと思います。
  本年もよろしくお願いいたします。
2021年12月31日

孫と過ごすことになる年末年始

投稿者 : rfuruya
★ 2021年もいよいよ大晦日である。
 いつもは家内と二人の静かな生活だが、我が家も急に賑やかになりそうである。
 昨日は娘のほうの長男・門野力也がやってきた。
 家族は今はアメリカだから、3人兄弟なのだが日本にいるのは力也だけなので、
 年末・年始には毎年やってくるのだが、
 息子のほうの長男・古谷仁は、今年は何を思ったのか、
 突然「正月、三木に行ってもいいか?」とFacebookで言ってきたのだが、
 大体若い奴の行動は、予定など立てないのだろうか?
 その後、「独りで家まで行くから、迎はいい」とメッセージは来たが、
 いつ来るのか?全く解らないのである。
 ホントに来るのかなと思ってたら、
 昨夜Facebook のメッセージで「昼頃の便で行く」と連絡があったから、
 来るのは間違いないだろう。
 そういう意味では、まだ門野力也のほうがましで、
 新横浜駅から、のぞみに乗る3分前に電話してきたので、
 新神戸駅まで迎えに行ってきた。
★新神戸5時過ぎ着の「のぞみ」だったので、
 駅に着いた頃はまだ明るかったが、
 
 今年はこんなに沢山の出迎えの車が列をなしていた。
 昨年は、ホントに少なかったのだが、
 1年経つと世のなか変わるものである。
 
 この2年間はコロナで神戸にも出ていないし、
 街中の車の運転は、高速や有料道路は兎も角、街中はなかなかムツカシイ。
 車の運転は、得意分野なのだが、慣れぬとこんなにもムツカシクなってしまう。
 帰りは夜道になったので、慎重に運転して三木まで帰ってきた。
 若し、事故など起こすと、間違いなく「88歳のおじんが・・・」と言われるので、
 慎重にならざるを得ないのである。
★孫と言っても、二人ともいい大人だから、
 折角の正月休みを三木で1週間近く過ごそうと言ってくれるのは、
 有難いと思わねばならぬのだろうか?
 古谷仁は、今日やってきて二人とも5日ごろまでの滞在なのだが、
 その間、どんな毎日になるのだろう?
 パソコンや、ネットの新知識みたいなものを仕入れたいと思っている。
 私はパソコンは独学なので、
 写真の貼り付けから始まって、今やっているいろんなことは。
 殆ど、この二人の孫から仕入れたものなのである。
 今日からの約1週間、「いい年末・年始」になることを期待している。
2021年12月30日

何もしなくても体脂肪が燃える身体

投稿者 : rfuruya
★ 膝が痛くなって、スロージョッギングが出来なくなってしまったので、
 この24日から『ストレッチと筋トレ』をすることにして、ほぼ1週間が過ぎた。
 何とか続いているし今後も続けられると思っている。
 私の体重は大体82キロで推移していたのだが
 ジョッギングを止めたら85キロまで増えてしまった。
 太る原因は単純で、「摂取カロリー>消費カロリー」時に起こり、
 肥満の原因の大部分は食べ過ぎによる摂取カロリーの増大と、
 運動不足などによる消費カロリーの減少によるものだという。
 また、消費カロリーが減少は代謝が落ちていることも考えられるという。
 ネットにはいろいろ書かれていているのだが、
 何もしなくても体脂肪が燃える身体を作っていく
 基礎代謝のアップ=ダイエットへの近道ですとある。
★なかなか理屈はムツカシイが
 減食や絶食で摂取カロリーを減らすと脂肪量だけでなく筋肉量も落ちるので、
 筋肉量が落ちると基礎代謝も下がるので、
 健康的に痩せる為には脂肪は少なく高い基礎代謝を持つ身体づくりが重要だというのである。
 基礎代謝とは、「心臓を動かす」「呼吸をする」などの生命活動を維持するために使われるエネルギーが基礎代謝で、
 睡眠中やじっとしている時でも消費されるため、
 効率的にエネルギーを消費するためには、この基礎代謝を上げるのが良いとされているのだが、
 基礎代謝は加齢と共に低下していくし、筋肉量が落ちた場合も基礎代謝は低下していくというのである。
 私は家の秤に乗ると体重は84キロなのだが、
 年齢は75歳10歳以上若く表示されるのは多分基礎代謝量が多いのだと思う。
 基礎代謝量だろうと思うが1600ぐらいの数値が現れるのである。
 さらにいつも不思議に思うのは、体重が増えた方が年齢は若く出る傾向で、
 多分これは筋肉量の増減によるのだと思っている。
 さらにこんな記述があって、
 ダイエットに有効なのは有酸素運動より筋トレで、
 筋トレをする大きなメリットは基礎代謝のアップだという。
 そして基礎代謝のアップ=ダイエットへの近道で、
 何もしなくても体脂肪が燃える身体を作っていくことが、
 ダイエットをするにあたって筋トレを取り入れる大きな意味だと言っている。
★そんなことで『筋トレ』を続けることにしたのである。
 筋肉量を効率的に増やすには無酸素運動と呼ばれる筋力トレーニングを行うのがよいのだが、
基礎代謝を向上させる為には大きな筋肉を鍛えるのが効果的だという。
人間の身体の筋肉の約70%が下半身に集約されているので下半身の大きな筋肉をターゲットに鍛えることが重要で、
下半身を中心に大きな筋肉を鍛え→基礎代謝を上げ→体脂肪を落とすことにした。
こんなメニューを採り入れていて、このように説明されている。
① スクワット
  
  1. 背筋を伸ばす
  2. つま先を気持ち外側に向ける
  3. 両手を胸の前でクロスする
  4. 息を吸いながらゆっくりと体を下げていく
  5. 床と太ももが平行になったら、その姿勢を2秒間キープ
  6. 息を吐きながら姿勢をゆっくりと元に戻す
② ダンベルレッグランジ
   
  1. 自分が10回から12回くらいでで限界を感じるダンベルの重さを選ぶ
  2. 肩幅くらいの広さに足を広げて立つ
  3. ダンベルを持って横に構える
  4. 片足を踏み出して、ダンベルが地面に着くまでぐっと真下に下げる
  5. 逆の足でも同じ動作を繰り返す
 ③ プランク
  1. 両手両足を肩幅に開く
  2. 肘とつま先の4点に重点を置き、肘から下で補助的に体を支える
  3. 背中のラインが真っすぐなるように姿勢を保つ
  4. このままの姿勢で50秒キープ
④ スタンディングカーフレイズ
  
  1. 背筋をピン
    と伸ばして立つ
  2. 肩幅くらいの広さに足を広げて立つ
  3. つま先立ちになり、かかとを上げる
  4. かかとを限界まで上げたら、その姿勢を2秒間維持する
  5. その後、ゆっくりかかとを下ろしていく
  6. 同じ動きを30回繰り返す
    
こんな筋トレを毎日やりかけたのだが、
筋トレ」は毎日やるのは逆効果で「鍛えた筋肉を休ませる」方がいいとあるので、
 翌日は「ストレッチを中心」にして、兎に角毎日1時間以上動くことにしている。
 たった1週間なので、まだ体重の効果までは出ていないが、
 体は「確りした」感触が得られている。
 目標は「何もしなくても体脂肪が燃える身体」である。
2021年12月29日

人の好き嫌い   雑感

投稿者 : rfuruya

★ 張本勲さんのことはあまり好きでない方が多いようなので、
 ではスポーツ選手では、どんな人が好まれているのだろうかと調べてみた。
 人の好き嫌いにはいろいろあって、
 大谷翔平くんなどは「好きな人」ばかりで「嫌いな人」はいないのかと思ったのだが、
 40%以上の人が「嫌いだ」というのだから世のなかいろいろなのである。
 スポーツ選手で好きな人のTOP10はこんな風になっていて
 羽生結弦がTOPに来ているので、ちょっとびっくりだった。
 私自身は何となく好きにはなれない選手なので「へー」と思ったのである。
 TOTALは男性・女性合わせての順位で、
 羽生結弦TOPにこんな選手たちが並んでいるのだが、
   
  男性だけの得票では、こんな順位になって
  羽生浅田池江選手もいなくなってしまうのである。
  羽生結弦の名前が消えてしまったのは、TOPにいただけにびっくりしたのである。
  実はTOP10 どころか20位の中にもその名前は現れないので、
  むしろ「嫌い」という人が圧倒的なのかも知れない。
  
  ということは、全体では圧倒的に女性からの得票であって、
  男性からの得票が低いのだろう。
  実を言うと、羽生結弦は私はあまり好きではなくて、
  むしろ「嫌いな部類」に入るのだが、
  世の一般の男性もあまり高い評価を与えていないということなのだろう。
  そんなことで、なぜ羽生結弦が男性に嫌われるのかちょっと調べてみたら、
  こんなサイトが現れて、「嫌いな人が急増中」でその理由は
  「わざとらしい、ナルシスト」などと出ているのである。
  
ナルシストとは「自己評価が高すぎる人」のことで、
… 親から褒めて育てられたり、成功体験がたくさんあったり、人格を否定されずに育ったりすると、ポジティブな良い意味でのナルシストになると言い
 「自分は優れている」と信じ込んでいる人のことだというとある。
 ナルシストとは「うぬぼれや自己愛が強い人」を指す言葉だそうで、
 それでがちょっと過ぎるので「若いくせに生意気だ」と感じてしまうのだろう。
  
 それにしても羽生結弦の場合は極端で、
 男性だけの得票では20位にもその名前は現れないので、
好かれている」よりはむしろ「嫌われている」ほうが多いのかも知れない。
 然し女性には圧倒的な人気なのは、
 女性は羽生結弦ナルシストという側面など、全然感じないのかも知れない。
 男性にも女性にも好かれているのはイチロー・大谷翔平で、これは解るし、
渋野日向子」も男性にも女性にも同じように好かれている。
 人の好き嫌いいろいろである。
 男性と女性では全然意見が違うのもよく解った。
 こんなつまらぬことを分析して楽しんでいる年の瀬なのである。

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