rfuruya

2024年3月21日

娘と三木総合防災公園を走ってきた

投稿者 : rfuruya

2024-03-12 06:09:40 | 発想$感想

★ 昨日新しく買ったasicsの靴を早速履いて、

 三木総防災公園を娘と一緒に走ってきた。

  

 やはり新品は何となく感触がいい。

 靴底の新しさが実感できる。

  娘も昨日買った新しい靴を履いていた。

 

 もう60歳に近いのに結構スムースに軽快に走っている。

 3マイルを約30分のスピードである。

 学生時代にはマラソンで常に優勝していた実績が生きている。 

  次男のバークレー時代のサッカーのユニフォームを

  身に着けていた。

  90歳になっても、私以上にスムースに走れるだろうと思う。

  なかなかいい1日の始まりだった。

2024年3月16日

二人の子供たちと

投稿者 : rfuruya

2024-03-08 05:26:16 | 発想$感想

★私には息子と娘の二人の子供がいる。

 息子は鎌倉、娘はアメリカにいるので、

 そんなに顔を合わせることはないのだが、

 1年に一度ぐらいは一緒になることがある。

 先月末から娘がアメリカからやって来ていたので、

 鎌倉から息子も昨日やって来た。

 伊丹まで迎えに行って、その帰りに三木の焼肉こさるで昼飯を食った。

 

 誰に似たのか、二人ともよく飲む。

 私はそのあとの運転手を務めたので飲まなかったが、

 家内と3人で結構飲んでいた。

 ご機嫌である。

 何故か、なかなか仲がいい。

  

 

 息子は、家に戻ってきたら直ぐ昼寝をして起きてきたのは夕方だった。

 

 晩飯でもよく飲んでいた。

  

 

 息子全日空に勤めているので

 航空機はタダでいいのだが、社員は満席になると乗ることは出来ない。

 今日の便は週末で午後の便はみんな満席だから12時過ぎの便で

 鎌倉に戻って行く、

 昨日昼前にやって来て、ホントに24時間の滞在だったが

 兄妹も揃ったし、久しぶりに一家4人が一緒になれたのはよかった。

  今度また一緒になれるのは、いつなのだろう?

湯村温泉に行ってきた   2

投稿者 : rfuruya

2024-03-06 13:52:16 | 発想$感想

★ 兵庫県の端の方だが湯村温泉に行ってきた。

  カワサキの国内市場を永く担当したこともあって、

  国内の温泉地には一般の方よりは数多く訪れていて、

  沢山の温泉地を知っているのだが、

  この湯村温泉は『その中でも一番』と言っていいほどの素晴らしい温泉だった。

 天皇陛下もお泊りになったという『井筒屋』は湯村温泉でも一番の

 格式高い旅館である。

  

   

 

  昨日も紹介したが、庭の造りも最高だった。

   

   

  こんな最上階の風呂と

   

   

  1階の大浴場があって

  その湯質も最高だった。

★ ホテルのすぐ横にはこんな源泉もあって、

   娘と一緒に散策してきたが、

 

   

  

こんな足湯も出来て、なかなかの環境なのである。

 

  到着早々、こんな湯茶の接待もあって

  

  

  夕食には日本海でとれる「カニ」や

  『のどぐろ』も初めて食ったが旨かった。

  「但馬牛のすき焼き」などご馳走がいっぱいだったし、

  翌朝の朝食もバイキングなどではなく、立派だった。

  

  

★兵庫縣であることは間違いないのだが、

 往路の道には3月なのに、こんな雪も残っていた。

 これは部屋からの眺めだが、

 こんな日本海の海岸も見ることが出来た。

 こんななかなかの湯村温泉の旅だった。

 一応は私の91歳の誕生日のお祝と言うことで、

 娘がセットしてくれた小旅行だったのである。

  

 

  

  想い出に残る但馬への小旅行だった。

2024年3月8日

三木は旧い史跡のあるまちでもある

投稿者 : rfuruya

2024-02-19 06:38:00 | 発想$感想

★毎朝行く三木市総合防災公園は、世界的な屋内テニスコート・ビーンズドームやサッカー場・陸上競技場など近代的な施設もいっぱいだが、

 今朝一回りしてきたところは旧い由緒ある史跡もある。

 公園の北の方には『どっこいさん』と言うこんな旧い史跡がある。

 

 よく解らないが六地蔵が正式名なのだろうか。

 

もう薄くなっているが、下の方に六つの地蔵さんが並んでいる。

 この公園はこんな4車線で東と西に分かれているのだが、

 この右手に『どっこいさん』はある。

 そして、陸橋を渡ると、

 こんな急な下り坂になって、右手は谷間に池が連なっているのだが、

 

 さらに下て行くと、

 その先はこんな山道になって、

 右折して石段を下ったところに

  史跡『志染の石室』がある。

 

  この表示板にあるように

  石室があって、年中湧水をたたえていて、日本書紀によると、

  飛鳥時代に顕宗天皇と仁賢天皇が幼少の頃、

  政変を逃れて隠れた石室だと言われている。

  その湧水は天然のひかり藻の作用で冬場、金色に光るので、

  『窟屋の金水』と呼ばれている。

 こんな感じなのである。

  こんな地蔵さんが並んでいる。

  いまは公園が開拓されたので、公園から下ったところにあるのだが、

 かっては、下から登ってきた山の行き詰まりの場所だったはずである。

 

  いまはこんな急な階段を上り、

 さらにこんな急な坂道を登りきると、

 公園の周回路に出るのである。

 

 

 この一回りで約4000歩の行程だった。

 戻ってきたところは、今梅が綺麗に咲いていた。

 かっては山奥だったはずなのに、

 今の時代は変わってしまうものである。

  三木市は新しいものもいっぱいあるのだが、

 こんな旧い史跡もある歴史のあるまちなのである。

私の二つの日記

投稿者 : rfuruya

2024-01-30 06:28:58 | 私の生き方、考え方&意見

★私は毎日二つの日記を書いている。

 昨今は殆ど毎日が同じことの繰り返しで、

 所謂日記の内容は毎日同じようなことが繰り返し書かれている。

 かってはこのように一般の普通の日記帳を使っていたのだが、

 

 

  昨今はあまり書くことも少ないのでこんな小さな5年連続日記帳を使っている。

    

 最初に日記を書きだしたのは大学2年の20歳の頃だから、

 もう70年も続いていて、書き出した理由が『蒋介石が30年も日記を書いている』と言うことだったから、もう完全にその期間を越えている。

 昨今は昔のこともよく忘れてしまったいるので、

 日記を読み返すことも多いのだが、いろんなことが想い出されて重宝している。

 人間の記憶などそんなに頼りにはできないなと思うのは、

 旧い日記を読み返してみると『そんなこともあったのか?』と思うからである。

 

★ もう一つ『雑感日記』というブログの日記がある。

 70歳を超えてからパソコンをやりだして何となく始めた雑感日記だが、

 スタートが2006年9月だから、これももう20年近くになる。

 最近はしなければならないことなど無くなってしまったので、

 この二つの日記を書くことの比重が1日の中でも増えてきた感じなのである。

 その名の通り、いろんな感想など綴っていしてるのだが、

 こちらの方はFacebookにも毎日転写してるので多くの方と繋がって、

 沢山の『いいね』など頂けるので、世の中と繋がっている感じになっている。

  

 どちらの日記も、果たして何歳まで続くのだろうと思ったりする昨今なのである。

 

孫・門野真也

投稿者 : rfuruya

2024-01-12 07:40:00 | 発想$感想

★暮れから次々と孫たちがやって来て、賑やかだった年末・年始だったが、

 9日に孫・門野真也がアメリカに戻って行って、

 また『静かな生活』に戻った。

 伊丹空港には2日続けて孫を送った。

 これはその最後の真也を送った時の写真である。

  

  私の若いころのチョッキが気に入って、着て帰った。

  今回、三木にいる間も一緒に行動した時間も長かった。

  

  子供のころから、なぜか私に付きまとって、

  魚やカブトムシなどを採りに行ったりしたのだが、

  何をしてもめちゃハマってしまう。

  

 

  カブト虫もこんなに沢山採っていた。

  小学校2年生の頃から始めたサッカーも

  最初は単なるデブだったのだが、

  

 

  見違えるほど体を絞って、頑張った。

  この二人がアメリカのプロになれたのは不思議と言っていい。

  そのきっかけを作ったのは、息子だったかも知れない。

  大学は、世界の名門バークレーで日本人ながらキャプテンを務め

  とうとうアメリカのサッカープロ選手になてしまって、

  これは、神戸新聞の取材で記事になったころの写真である。

 いろんな不思議な才能があって、

 絵も描くのだが、これは弟・てっちゃんを2年間に亘って描き続けた

 『毎日てっちゃん』である。

  

 

  最近は動画制作に凝っていて、

  あちこちから『動画制作』を頼まれるらしい。

  月間30万円ぐらいの収入があるというから、

  これでも食えるのかも知れない。

  多才で努力家だと言っていい。

  誰に似たのだろう?

 

  

★ 私がブログにアップした『俺のミルク』をお土産に買って帰ったら、

 

  

  娘と末弟・哲也が気に入ったという

  こんな写真をFacebookで送ってきた。

  

  

  アメリカに戻って、2匹の犬たち

  コビー(神戸)とライス(お米)との生活がスタートしたのだろう。

  筋トレと言うかジム付のマンションにいるので、

  毎日のトレーニングで体幹は確りしている。

  春からはまたシーズンが始まるが、

  今年はどんなチームで、どんな活躍をするのだろう?

  

  

  日本は気に入ってるので

  今年の暮れにはまたやって来るに違いない。

  今年も一緒にトレーニングできるように、

  私も頑張りたいと思っている。

孫・古谷仁がやって来た

投稿者 : rfuruya

2024-01-08 10:56:50 | 発想$感想

★いつものことだが、孫・古谷仁は突然やってくる。

 今年も6日の夕方突然やって来た。

 いまアメリカからの孫・門野真也も来てるのだが、

 真也は大阪に遊びに行ったので、

 7日の昼は「珈琲庵珈集 青山店 」に行って

  

 

 ランチを食ってきた。

★ 彼の勤めは『株・リクルート』なのだが、

  ツイッターの自己紹介の欄には、このように記述している。

  ふるやじん |Jin Furuya

  関心は踊りと庭

  コンテンツディレクター/リクルート

  慶應SFC研究員

  ヨコク研究所外部編集員

  発酵デザインラボ「ただいま発酵中」番組ディレクターなど。

 何かよく解らぬが、いろいろやってて

 にも興味があり、我が家の庭の写真を

 Twitterに「じいちゃんちの庭」とアップしてくれたら、

  

 有名庭師山内朋樹さんと

  

 園芸家川原伸晃さんから『いいね』が届いた。

  プロの人達に『いいね』と言われて、結構、気分がいい。

  このお二人とは面識があるらしい。

★ 今朝1月8日の朝は、朝6時半から

 三木総合防災公園の芝生で、『じん』と『しん』と3人

 体を動かしてきた。

  

 

 

 古谷仁日大三高時代はサッカーをやっていた。

  

  8時前には家に戻って

  朝飯を食ったら、もう帰るというので、

  今日も大阪遊びに行くという門野真也も一緒に

  古谷仁伊丹空港まで送ってきた。

  

    

  あっという間に東京に戻ってしまったが、

  12月からちょうど1ヶ月日本に遊びに来てた門野真

  明日9日にはアメリカ戻ってしまう。

  元旦には長男の門野力也も来てて、

  賑やかだった今年の新春だが、

  明日、真也伊丹空港に送ってやれば、

  また、老夫婦二人の生活が戻ってくる。

  今年もまた、古谷仁は突然やって来て

  突然、戻って行った。

  もうすぐ、羽田に着くのだろう。

  あっという間の実質、2日間だった。

  今度はいつ来るのだろう?

  

2024年1月1日

明けましておめでとうございます

投稿者 : rfuruya

2024-01-01 05:42:06 | 発想$感想

 2024年・令和6年の幕が開けました。

 今年もよろしくお願いいたします。

    

   今年はどんな年になるのでしょうか?

   3月には91歳になります。

   こんなに長く生きれるとは夢にも思っていませんでした。

   お陰様で体のほうは至って元気なのですが、

   アタマのほうがついていくでしょうか?

   新年を孫・二人と家内と一緒に元気にスタートする事が出来ました。

   皆々様のご健康とご多幸を心より祈り上げます。

   

2023年12月12日

NPO法人 Tke Good Times について

投稿者 : rfuruya

2023-12-06 17:57:50 | NPO The Good Times

NPO 法人The Good Times 2009年7月1日の設立だから

 もう13年にもなるのですが、

 設立当初の理事長は私で、

 2代目が山本隆さんでしたが、

 今回、新しく3代目の理事長・松島裕さんがスタートしました。

    

 

 クリックして頂くとそのホームページが現れます。

 

https://www.thegoodtimes.jp/

 

 

 このNPO The Good Times のホームぺージの制作者が

 実は松島裕さんなのです。

 このホームページの訪問者は延べ137000人以上にもなっていて

 毎日訪れる方がいるのです。

 

 

 松島裕さんは、このホームページの制作者でもあり、

 二輪文化を伝える会の理事長もされています。

 

  NPO法人 Tke Good Times基本コンセプト

 『みんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』というもので、

  今後も異種・異質・異地域をみんな繋いで

  楽しくいい活動を続けて欲しいと願っています。

  

 世界の100を超す団体会員とその個人会員で構成されています。

  

 

 二輪文化を伝える会KAWASAKI Z1 FAN CLUB も団体会員さんですし、

 最近では神戸ベンチャー研究会が入会されました。

 

 従来は関西中心の活動でしたが、

 今回、松島裕さんが理事長になられたので

 その活動の主体も関東に移すことになるでしょう。

 これは 松島裕さん・村島邦彦さん・私トリオですが、

 従来も村島さんは松島さんを支えてこられました。

 今後もは、松島さんを支えて

 NPO The Good Times の活動を応援していこうと思っています。

 

  

 新しくスタートする『NPO The Good Times 』の今後の活動を

 皆さんも是非応援頂きたいと願うものです。

 松島裕さん、頑張ってください。

2023年12月6日

私の日記から   昭和41年(1966)

投稿者 : rfuruya

2023-12-04 05:57:13 | 自分史

★ 私の一生を振り返ってみてもこの年が一番いろいろなことがあった年だったように思う。

 それがよかったのか悪かったのかは別にして、

 こんなにいろいろ経験することはなかなかないと言っていい。

 

 1月の初出の日藤井敏雄がやって来た。

 カワサキがGPレースに初めて参戦する年なのだが、その契約にやって来たのである。

 スズキからの移籍だった。年末のMFJの運営委員会で鈴木さんから社内ライダーの引き抜きは困るというようなクレームが出たのだが、

 その時は私はホントに解っていなかったのだが、カワサキの技術部がいろいろ折衝していたようである。

 そんなことで彼の移籍には関係していないのだが、ライダー契は私の担当だったので、契約についてはいろいろと纏めたのである。

 先方の希望でその時はライダー契約とはせずに『マシンの貸与契』にして

 約半年ヨーロッパGPに参戦するので、ライダー契約はその成績を見て改めてして欲しいという希望だったのである。

 そんなことから始まった1年だったのだが、2月には山本隆からを頼まれるのである。

 私自身がまだ33歳で、結婚したばかりなので一応はお断りしたのだが、どうしてもと仰るので、結局は引き受けることになったのである。

世の中にこんな若さで仲人をした方などいないと思うのだが、当時は単なる若手ライダーだった山本隆だが、その後の活躍でMFJの殿堂入をするようなライダーに成長したので、そんな『山本隆の仲人』は私にとっていい実績となったのである。

★この年は私のレース担当の最後の年になったのだが、

 レース関連では本当にいろいろなことが起きたのである。

MFJの運営委員会では日本GPを鈴鹿からこの年に開幕するFISCOに移そうという議案が出るのだが、FISCOの第1コナーが危険だという理由で、ホンダさんは日本GP不参加を決めたのである。

 FISCOの第1コーナーがどれ位なものかをMFJの運営委員会で実地検証することになって、4輪車だったがFISCOを何周か走らせて貰ったのだが、確かにあのコーナーは吸い込まれていくようなものスゴイ下りのコーナーだったのを覚えている。

 

モトクロス関係では、前年にスズキが本格的なモトクロッサーRHを開発し、久保和夫・小島松久の二人が乗ったので、カワサキもと238ccのエンジンで、クロモリのパイプのF21Mを新たに創ったのだが、これは2台などではなく全契約ライダーに当たる数を用意したのである。

 まだ当時はレーサーの開発は技術部ではなくレース職場の松尾勇さん個人のノウハウで創り上げていた時代で、ベニヤ板に釘を打ってその形にパイプを曲げていくのだが、そのパイプに詰める砂を海岸で採ってきたような想い出がある。

 7月のMCFAJの青森での全日本でデビューするのだが、明石から青森の弘前まで、2000kmを車で移動したのである。

 その時の練習時の写真で、真ん中にあるのがF21Mだが、当時はまだ赤タンクの時代なのである。

 

 この年の8月、GPレースでヨーロッパを転戦中の藤井敏雄がマン島のプラクテイスで転倒事故死してしまうのである。

 それからが大変でその遺体は、たまたまドイツに留学中の大槻幸雄さんがマン島の現地に行かれていて送って頂いたのだが、それを羽田で受け取ったのが私なので、お通夜・葬儀と続いて大変だったのである。

 葬儀もカワサキがいろいろとお手伝いをしたのだが、契約上は先述の通り、マシンの貸与契約なので『個人は関係ない』と言うようなことをいう社内の人もいてなかなか大変だったのだが、貸与契約と言ってもそれはGPマシンなのだからと押し切ったりしたのである。

 秋の日本GPには藤井と正規に契約して走ることになっていたのだが、

 こんなことになってしまって、改めて契約したのが鈴鹿サーキットに『デグナーカーブ』と名を残すあのデグナーなのである。

 カワサキにとっては初めての外人契約で、その契約書をどのように作るのか、社内には聞く人もいないので、

 ホンダのMFJの運営委員の前川さんに教えて貰いに鈴鹿まで行ったりしたのである。

 そんなことまでして契約したデグナーなのだが、GP前のFISCOでの練習中に転倒して、『カワサキのデグナー』は実現しなかったのである。

 この年のFISCOでの日本GPにはカワサキが初出場するのだが、

 安良岡健が7位になったのである

 ただジュニアの250ccには250A1のマシンが出場したのだが、

 このマシンが滅茶苦茶速くて、

 当時のヤマハさんは、日本人ライダーではダメだと、

 アメリカでの一流ライダーだったガリー・ニクソンを出場させ

 金谷秀夫との壮絶なトップ争いをしたのである。

 

 これがその時の写真だが

 文字通りの一騎打ちになった本番は凄まじかった。
 最高ラップ 2分14秒27 Gニクソン、金谷秀夫の二人で記録しているという珍しいレースで、もっとも印象に残ったレースだった。

 

 

 

 

 これが私の4年間の最後のレースとなって、

 11月には仙台事務所を創るべく仙台転勤の内示があったのである。

★ こんなことでこの年のレース関係では大変な1年だったが、

 年末には仙台転勤が決まって、12月からはその対策に掛りきりになったのである。

 私にとっては初めて明石を離れての生活となって、

 それも仙台と言う雪国だからと、会社の人達は家族は春になってからの移動にしたらと言って下さったのだが、

 私は1月の最初から家族同伴と決めて、まずは仙台での家探しから始まったのである。

 それも普通の転勤と言うのは、そこにすでに会社の支店とかがあるのが普通だが、

 私の場合は『新しく仙台事務所を創れ』と言う命題だけで、

 全くの白紙からのスタートなのである。

 会社自体も新しく事務所作るなども初めてだったし、今思うとよくやったなと思うのである。

 この年の4月に初めて「掛長任用」されたばかりなのだが、

 前年からカワサキオートバイ販売出向となっていたので、正規に掛長になる前から『課長』と言うことになっていたし、

 今回は『事務所長』と言う肩書を頂くことになって、気分的には非常によかったのである。

 そんなことで私は掛長などと呼ばれたことはなく、

 平の係員からいきなり課長になり、またすぐ事務所長になったりしたのである。

 ただ名前だけのことで、実質の給料などは上がったりはしていないのである。

 昭和41年(1966)はこんないろいろあった1年だったのである。

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