rfuruya

2022年9月16日

カワサキの二輪事業の黎明期 その2   雑感

投稿者 : rfuruya
★「カワサキの二輪事業の黎明期」とは何年ぐらいまでのことなのだろう?
 私自身のことでいうと昭和36年(1961)12月に単車営業が出来てそこに異動してから、
 広告宣伝課の担当が終った昭和41年(1966)までの5年間だったと言っていいのではなかろうか?
 そんな時代に一緒だったメンバーも60年も経つと先に逝ってしまわれた人も多いのだが、
 今もなお元気で今回のZ50年記念祭にも顔をだしてくれる仲間もいて、
 その一人が「福田康秀くん」である。
 彼とは私が初めて出来た「単車営業課」に異動した時に同じ課の仲間として出会たのである。
 「単車営業課」と言っても生産・技術以外のことはすべてやらねばならなくて、
 今でいう品証部門のサービス員3人の一人だったのである。
 そんなことで、その後も結構気安く付き合った仲間なのだが、
 それから4年経って彼が品証にいた時に突然私のところにやって来て、
 「85J1で、品証の仲間で富士山に登りたいのだが、その費用を都合してくれないか?」と言うのである。
 当時、私は広告宣伝課担当で結構な予算を持っていたので、
 いろんなことで理屈をつけて「たかりに来る」人たち多かったのだが、
 富士山登頂に成功したら、これは広告に使えるなと思って、
 「富士山山頂での写真を撮ってきたら、その費用は全部見てあげる」と言うことにしたのである。
★ それは見事に成功して沢山の写真を撮ってきたのである。
  昭和40年(1965)8月3日のことである。
 そんな写真の中から
 
 登頂には成功したがなかなか大変だったようである。
 2台の85-J1はモトクロス職場でチューニングして
 タイヤも特別にモトクロスタイヤを装着したのだが、
 戻ってきたマシンのタイヤのヤマはすり減って殆どなかった状態だった。
 勿論、広告宣伝にも大いに利用させていただいて、
 当時のバイク雑誌2誌、オートバイ誌とモーターサイクリスト誌
 派手な広告を打ったのである。
 その中のサイクリスト誌の記事を「二輪文化を伝える会」さんが
 探し当ててくれたのが、この写真である。
★ この時期は映画界とも繋がっていて、
 特に日活映画とはいろんな繋がりがあって、
 当時のトップスター浜田光夫と吉永小百合とカワサキのこんな写真もあるのだが、
  
 その浜田光夫が明石日活に挨拶来た時には、
 飛び込みで「明石工場まで来ませんか」と「ダメ元」で言ってみたら、「
 浜田光夫が明石工場ま来てくれたのである。
 事業部長と対談し、そのあとテストコースでバイクに乗ったりしたのである。
 昭和39年(1964)7月14日のことで、
 浜田光夫が来たというニュースが流れて、
 テストコース横の発動機工場の女工さんたちが浜田光夫を見に飛び出してきて、一時ラインが止まってしまったりしたのである
 日活とはホントにいろいろ密接に繋がっていて
 花咲く乙女たちのロケが岐阜であった時にも
 バイクを貸したのだが、サービスが出来る人を出して欲しいという要求で、
 「福田康秀」クンんと二人で岐阜まで行ったのだが、
 立派な旅館に泊めて頂いて最高のおもてなしをして頂いたのもいい思い出である。
 別にバイクも問題なかったので、仕事は何にもなくて
 いいご馳走を食い、映画館での舞台挨拶などを見てただけの楽な出張だったのである。
 
 この映画には堺正章も出てたのだが、
 まだ有名ではない駆け出し時代で「堺駿二 の息子」さんと言うことで紹介されていた。
★当時のテレビの人気番組「源平芸能合戦」にも川崎航空機と三洋電機の対戦として出場したのだが、
これも昭和39年8月のことで、これには明石工場だけでなく本社岐阜工場も巻き込んで頑張ったのである。
 結果は107:105点と言う稀に見る高得点での接戦だったのだが、結果は三洋に名を成さしめたのである。
 
 この時には後に単車の事業本部長をされた岩城常務がまだ本社総務部長の頃だったが、熱心に応援して頂いて、
 「芸人を養っている訳ではないから、応援だけは負けるな」と連日応援団の練習を熱心にやって、
番組を担当されてた方が、「こんな熱心な会社は見たことが無い」と感心されていたのである。
★ 単車事業もまだスタートしたばかりで若かったが
 私もまだ30歳そこそこの若さで広告宣伝課を担当したお陰で、
 一般サラリーマンでは経験できないような面白いことばかりだった時代なのである。
2022年9月15日

草が生えない庭

投稿者 : rfuruya
★ 庭に苔を植えだしたのは今年の1月のことだが、
 以前にも一度書いたが、『苔に草が生えた』のではどうしようもないので、
 それから毎日草を抜き出してもう半年以上になる。
 最初は抜いても抜いても翌日には小さな草が芽を出したのだが、
 これは草の種が地中に残っているからだと解って、
 草の種が落ちないように徹底して草を抜いたら小さな芽は出さなくなった。
 そして今は庭には殆ど草が生えていない。
 一本もないとは言わぬが、少なくとも大きな草は生えていない。
 こんな感じで、ごみは落ちてるが草は生えていない。
  
 こんな区画の中は、出来る限りゴミも落ちていないように、
 毎日気が付いたら拾っている。
 こんな小さな区画は殆どゴミもないのだが、
 写真に写すとまだ小さなごみが目立って見えるのである。
 少なくとも、土の見えてるよころは皆無になったし、
 毎日目標をもって「草抜きやごみ拾い」をするのは結構楽しいものである。
 草はある程度目途が付いたが、ごみは剪定した落ち葉などが出来るので、
 これをなくすのは結構大変さが、そのうち何とかなるだろう。
 苔を植えてから朝夕「打ち水」をしているが、
 苔が生き生きして気分がいい。
 このように瞬時に「青い芽」を吹くのである。
 
 この辺り、ごみも殆どないような状態になっている。
2022年9月14日

カワサキの二輪事業の黎明期    雑感

投稿者 : rfuruya
★ふとしたことで書き出した日記だが20歳からだから、
 もう70年も続いていて、たまに読み返すこともあるのだが、
自分の記憶」として覚えていないことも結構ある。
 この11月には「Z50周年記念祭」が明石であって、Zファンなど100人以上が集まるのだが、
 その最初のスピーチで「カワサキの二輪事業の黎明期」の話をすることになっているのである。
 大体は覚えてはいるのだが、単なる昔話の雑談でもないので、
 もう一度当時の日記を読み返して確かめているのである。
 
 カワサキが二輪事業の一貫生産をスタートさせたのは、
 昭和35年(1960)のことだが、営業部の中に単車課がスタートしたのは翌年の12月のことで、
 最初に発売した125B7に欠陥があってとても順調とは言えないスタートだったのだが、
 いろんな幸運が繋がって、単車事業再建が決定されたのは4年後のことで、
 単車事業本部がスタートしたのは、1964年1月のことなのである。
 これは日本能率協会が「単車事業継続の可否」について調査し、
 その結果は「単車事業継続」の結論が出るのだが、
 その条件の中に「広告宣伝課の設置」と言うのがあって、その新しい課を担当することになったのが私なのである。
 それまでは広告宣伝については、当時の「カワサキ自動車販売」が担当していて、
 その責任者はあのフィリッピンの小野田敏郎さんの弟さんの小野田滋郎さんだったのである。
 この写真の左の方で陸士出の秀才で、現役時代いろんな方に出会たが
この人にはとても敵わない」と思った数少ない方の一人である。
     
 小野田さんには「広告宣伝課」を引き継ぐに当たり、
 ほんとに親身になっていろいろ教えて頂いたのである。
 これがその年前半の日記からの抜粋だが、
 私にとってそれまでのサラリーマン生活とは一変した「突然変異」した期間だったと言えるのである。
 
広告宣伝課を新しく設置なのだが、
与えられた予算は年間1億2000万円と言う膨大な予算で、
今の金に換算すると10億円は軽く超す額だったし、
その課の課長は次長が兼務で課長も掛長もおらずにまだ係長にもなっていない32歳の私に100%任されたのである。
上記のメモ書きにもあるように
広告代理店は予算目当てに電通・博報堂などが押しかけてきて、
その代理店選定基準を小野田さんと二人で創ってやったのだが、
広告の専門家たちから、「お褒めの言葉」を頂いたような素人離れしたものだったのである。
雑音に耳を貸すな」とは、その時小野田さんが私にくれた言葉で、
その後の人生は「雑音に耳を貸すことなく」生き抜けたと思っている。
★人生にはいろんな時期があるが、思い返してみるとこの年の半年間は私にとって、
今まで全く経験のなかったことへの挑戦の期間だったと言えるだろう。
本格的な広告宣伝」に出会ったのも初めてだし、
マーケッテング」とか「広報・広告」についても広告代理店の本社メンバーとの間で本格的な理論の勉強もしたし、
今までは横で眺めていた「レース活動」についても本格的に取り組み、
ライダー契約なども広告宣伝費の中から負担していたのである。
 その当時の5人の契約ライダーである。
 左から岡部能夫・歳森康師・山本隆・三橋実・梅津次郎で、
 マシンは懐かしいB8モトクロス車である。
  私より若いのに先に逝ってしまって今残っているのは
 私より10歳若い山本隆さんだけである。
 
 同じような写真だが、これは安良岡健星野一義もいるので
 もうすこし後の頃の写真である。
上記のメモにもあるように6月にはMCFAJの全日本で山本隆がオープンで優勝していて、
これがカワサキの初めての全日本での優勝なのである。
すぐ後には、ヤマハと契約でトラブったとかで、荒井市次が勝手にカワサキに訪ねてきたりしている。
こんなレース界のスター選手だった人たちとも面識が出来て話が出来るようになったりした。
 このようにこの年の「広告宣伝課」との出会いは、
 突然1億2000万円と言うとてつもない額の広告宣伝費を任されて、
 流石にこれは7000万円ぐらいしか使えずに
 本社の担当専務に「お前らは金をやってもよう使わん」と怒られたりしたのだが、
 私自身はいろんな「初めての経験」が出来て、その後の人生にも大いに役立ついい経験になった半年間だったのである。
★今日はここまでしか読めなかったが
Zが世に出る1972年まで日記を読み返してみて、
自分の記憶を確かめておきたいと思っている。
Zの開発責任者だった大槻幸雄さんとは、
こののちカワサキがロードレースを始めた時からレース監督をされたので、
それ以降今日までのおつき合いなのでもう60年ものお付き合いになる。
そんないろいろなことのあった「カワサキの二輪事業の黎明期」だが、
日記を読み返してみると、忘れていたことも思いだすかも知れないのである。
2022年9月13日

「鶴は千年、亀は万年」というが

投稿者 : rfuruya
★「鶴は千年、亀は万年」と言うけれどの本当のところは?
カメは長寿の象徴とされていますが「万年」は生きません。
しかし、私たちのみぢかな川や池にすんでいる『クサガメ』の寿命は、60年以上です。という記述があった。
協同学苑には、こんな野池が隣接していて、
その野池まで坂を下っていくことにしているのだが、
その池には「亀の姿」が観られるのである。
 こんな綺麗な池なのだが、
 
 今朝もこんな2匹の亀の姿があった。
 結構、大きいがこの亀で何年ぐらいなのだろう?
  ちょっと見難いかも知れないが、こんな小さな亀もいる。
  亀が岸辺に寄って来た。
 こんな亀たち、毎日何を食って生きてるのだろうと思う。
 そんなに小魚などはいる気配はないのである。
 そんなこと別に私が心配することはないのだが、
 何となく気になるのである。
 こんなことは初めてだが、
 今朝は蛇が対岸まで泳いで渡って行った。
 蛇は何を思っているのだろうか?
 生き物の世界はいろいろである。
 でも考えてみると今では日本人が一番長寿なのかも知れない。
 こんな表があって、
 90歳まで生きてる人は「あと5年」ほど生きれるそうである。
 鶴よりも亀よりも、人間が長生きの世の中になって来て、
 その平均寿命は毎年伸びている。
 ほんとに「人生100年」の世の中になって来たのである。
2022年9月12日

大相撲が始まった

投稿者 : rfuruya
★2か月に一度の大相撲、めちゃ熱心なファンでもないのだが、
 夕方の1時間ほどテレビで観るのは楽しみだし、
 時間がつぶれるのがいい。
 初日と言うことで少し早くからテレビをつけていた。
 こんな三役力士の挨拶もあったし、
 
 横綱の土俵入りもあった。
 先場所優勝の逸ノ城、今場所はカド番の大関・御嶽海 だが、
 初日は二人とも白星発進だった。
 
 それにしても「モンゴル出身者」が素晴らしい。
 「モンゴル相撲」があるとは言うが、なぜこんなに強いのだろう。
  果たして今場所の優勝力士は?
  今日から始まった15日間が楽しみである。
2022年9月11日

ASiCS でジョッギングシューズを買ってきた

投稿者 : rfuruya
★毎朝のスロー・ジョッギングで履いてる靴もASiCSで、
5年ほど前にアメリカで買ったのだが、
たまたまASiCSの4割値引きの株主優待券が送られてきたので、
神戸までジョッギング・シューズを買いに行ってきた。
ASiCSとは、現役時代にはジェットスキーの専用シューズなど作って貰ったりして関係があったので、
ランニングシューズはASiCSと決めている。
靴の専門メーカーだから、繊細に創られていてなかなかの履き心地なのである。
 こんな高級ランニング・シューズなのだが、
 結構高価で定価は22500円もするのだが、
 株主優待券を使ったので、13000円ぐらいで買えたのである。
 神戸の三の宮にあるこんな直営の専門店に行ったのだが、
  
 ランニング・シューズがずらりと並んでいて、
 一番高価なのは3万円もする。
  私の足のデーターをこんな具合に分析されて
  それに合う二つの型の中の一つを選んだのである。
  左の方は今まで履いてたのと同じ型の新型だが、
  右のほうがより「足を守る」と仰るので、
  ほぼ同じ値段なのだが、初めての型にしてみたのである。
   
★ ちょっと高価だが、
 昨今は毎日の生活の中で「スロー・ジョッギング」は
 結構大きな比重を占めるので「少々の贅沢」もいいかなと思ったのである。
 これから毎朝、5年間ほどお世話になる靴なのだが、
 5年後も元気に走れているかどうかが「最大の問題」である。
 ところでASICSとは、ラテン語の「Anima Sana in Corpore Sano」のかしら文字をとったもので、
健全な身体には健全な精神がやどる」という意味合いを持っている。
 私自身もあやかって、健全な身体と健全な精神を維持したいものだと思っている。
 久しぶりに歩いた都会の街は
 土曜日とあって、沢山の人出で賑わっていた。
  
三木とはちょっと違った感じだが、
ASiCSのシューズを履いて走れる自然のある三木のほうが、
今の私には「いいな」と思ったのが実感である。
2022年9月10日

子どもの頃の記憶は結構鮮明

投稿者 : rfuruya

★ 最近は、何でもすぐ忘れてしまって、

 昨日のこともよく覚えていないことが多いのだが、
 子供の頃覚えたものはいまでも結構ちゃんと覚えている。
 毎朝スロー・ジョッギングを約2時間・1万歩ほどやっているのだが、
 その時「歌を唄っている
 歌と言っても子供の頃唄った軍歌や童謡が多いのだが、
 この歌詞が完全ではないが結構覚えているのである。
 歌を唄いながらジョッギングすると、いつの間にか距離も稼げるし、
 リズム感もあっていいと思っている。
 どんな歌か? と言われると10曲ぐらいなのだが、
 太平洋戦争最中だったのでこんな軍歌も多い。
 ラバウル小唄・轟沈・轟沈・戦友やら
 軍歌とは言えないが、満州娘や海ゆかばなどである。
  
 
童謡では、夕焼け小焼け・七つの子・お手てつないで などなど
    
  
   歌詞がやさしいこともあるが、
   殆ど、100%に近く正確に覚えているのだが、
   現役の頃、カラオケで歌った「演歌」などの歌詞は
   殆ど忘れてしまって歌えないから不思議である。
   記憶と言うのは不思議で、
   軍歌などほかにも沢山あったと思うのだが、
   それは出てこなくて、同じ歌ばかりがアタマに浮かぶのである。
   毎朝、歌いながらやってるので、だんだん正確に覚えるようになってきた。
   それに神戸一中の校歌の1番・2番を唄っている。
   覚えているのは中学校の校歌だけで、小学校も高校もましてや大学の校歌など全く覚えていない。
 
   神戸一中の校歌は、1.2番はよく覚えていて
   自分の結婚式の披露宴で、仲人が「何か唄え」と仰るので、
   歌詞も好きだったし、歌ったのを覚えている。
2022年9月9日

誰とでも仲良くなるのは特技かな

投稿者 : rfuruya
★ 今朝、三木総合防災公園でスロージョッギングしてたら、
 突然、笛の練習をされてた方に声を掛けられた。
 又吉先生である。
 いろんなことをやっておられるが、元中学校の校長先生だから、
 「又吉先生」とお呼びするのが妥当だろうが「又吉さん」で通している。
 確か、三木のジムに行ってた時に出会ったのだったか?
 最初の出会いは忘れてしまったが、
 その後も何度かお会いして、話をしている。
 今朝もいろいろ雑談して、こんな写真を撮って、
 Facebook のメッセージで送って頂いた。
 朝はいつもこんなシャツいちで走っている。
  
★ 私は誰とでも「すぐ仲良くなる」のは特技だと言っていい。
 そして、どんな方とでも同じように「気安く喋れる」のも特技である。
 元校長先生とも気安く喋れた「いい10分間」だった。
 でも、何を喋ってたのかはよく覚えていない。
 又吉さん、66歳だと仰っていた。
 まだ現役で「流通科学大学ゴルフ部GM  」などされてるのだが、
 最近はこんな笛も吹かれるようで、
 今朝は防災公園で「笛の練習」をされていた。
 
★ 「89歳で元気ですね」と言われるが、
  あまりいろいろ考えずに、どなたとでも同じように
 「気安くお付き合いをする」のが、健康にもいいのだと思う。
 人生で「悩んだこと」など一度もない。
 「欲がない」のかも知れない。
 考えてみると、又吉さんと喋ったのはそんなに多くはなくて
 確か今朝を入れて「4度目」ぐらいだが、
 そのうち3度が、この防災公園なのである。
 そういう意味では、不思議なご縁で
 以前もFacebook でトモダチだったが、
 今回新しいFBでは4日前にトモダチで繋がったばかりなのである。
2022年9月7日

山本隆さんと旧交を温めてきた

投稿者 : rfuruya
★ 昨日は登山さんと向笠さんが加古川の山本隆さんを訪ねるというので、
 同行して久しぶりに旧交を温めてきた。
 これは加古川名物「カツメシの昼食」をご一緒した後の写真である。
  
 山本隆さんは私よりちょうど10歳お若いので、
 いま79歳だが、バイクに乗せたら結構元気で、
 次の日曜日に名阪スポーツランドで開催される全日本モトクロスでは、
 デモンストレーションで走行するとか。
 これがそのF21Mだが、
 
 先日、三木のアネックスパークでテスト走行を行ったようである。
 このライデイングを見ると、
 間違いなく「歩いている時」よりは数段腰もちゃんと伸びて
 「サマになっている」ように思う。
 久しぶりに訪ねたお店だが、
 優勝カップなどこんなにいっぱい並んでいて、
 現役時代のかっこよさを思いだした。
★全然、話はバイクからはずれるが、
 彼は、こんな無花果の栽培などに興味・関心があって、
 バイクの道に進まなかったら、農業関連の仕事に進んだろうという。
 
 我が家にある無花果は、山本隆さんから頂いたものである。
 ちょっと所用もあって、
 
 加古川の花屋さんに寄ったりもしたのだが
 そこのお店のご主人は、
 こんなZ750RS
 こんな懐かしいカワサキのバイクをお持ちだった。
 やはり山本隆さんは、何でもバイクと繋がってるのかも知れない。
 私にとっても、旧交を温めることが出来た、久しぶりの「いい半日」だった。
2022年9月6日

千両と万両

投稿者 : rfuruya
★「千両と万両」植木の名前だがなかなかいい。
 我が家の庭には千両も万両も何本あるのか数えたことはないが、
 いっぱい生えている。
 千両は株分けで、万両は種が落ちて勝手に増えていったのだが、
 50年以上も経つと、その年数分ぐらいはあるのではないかと思う。
 どちらも半日蔭を好むようで、主庭の方は午後からは陽が当たらなくなるのがいいのだと思っている。
 どちらも冬の時期に赤い実と、千両は黄色の実も付けたりする。
 毎年新年の墓参には花は買わずに、「千両と万両」を切って持っていくことにしている。
 今年もいまいっぱいの実を付けている。
 こちらは万両
 
 こちらが千両である。
 万両はこのように種が落ちて、勝手に増えていくのだが、
 
 今年はとりわけ、自生して芽を出しているのが多いように思う。
 庭のあちこちに芽を出している。
  
  これなどは多分2年目だと思う。
★ 万両の分布地域は本州南部(関東より南)・四国・九州・沖縄、
千両もマンリョウ同様、暖地の山野・山林に群生しているとか。
  岩手の方に差し上げたことがあるのだが、寒さに耐えられなかったようである。

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