rfuruya

2022年10月6日

クルマのことで明け暮れた1日

投稿者 : rfuruya
★ 昨日は車のことで1日が明け暮れたと言っていい。
  運転免許が来年3月で切れるので、免許証の書き換えである。
 高齢者は「事前講習」があるので、その講習を朝の9時から12時まで、
 廣野自動車教習所に受けに行った。
  
 認知症のテストから始まって、
 目の検査は動体視力まで、そのあと教習所での実地の車の運転があって、
 結構、丁寧な講習なのである。
 受講者は4人だったが、9時半から12時まできっちりと掛った。
 認知症のテストは簡単なようだがなかなかムツカシイ。
 でも、何とか大丈夫だったようで、
 「高齢者講習修了証明書」を頂いてきた。
 私は一応は無事故・無違反の優良運転者なので、
 この程度で済んだようだが、違反があると「ホントの試験」があるようだから、
 今後も「無事故・無違反」の安全運転に努めたい。
何歳まで乗るつもりか?」と言われたら、
生きてる限り、車には乗りたい」と思っていて、
車の運転技術」は今でもちゃんと保てているので
 あとは「認知症」や「視力の維持」さえ何とかなれば大丈夫だと思っている。
★ 午後、新しいクルマが届いた。
  人生で何台目の車になるのだろう?
  BMWだけで6台目だが、多分この車が最後の車になるだろうと思う。
  
 運転そのものは大丈夫なのだが、
 いろんな細かい機能がいっぱい付き過ぎで
 これを覚えて「使いこなす」のは大変である。
 
 使いこなせたら便利なのだろうが、
 周りに教えてくれる人もいないし、
 使用説明書を読んで覚えるのは、ちと大変なのである。
 車を持ってきてくれたセールスの人にいろいろ教えて貰って
 一緒にそのあたりを試乗したのだが、
 「運転は100%大丈夫」と褒めて頂いたが、
 ドアの開け閉めだけでもいろんな方法があって、
 それを覚えるのは大変だと思う。
 それでも昨日は午後は「新しいクルマ」にかかりきりで、
 我が家の小さい車庫にも何とか無事収まったので一安心である。
 今は勿論、傷などないのだが、
 我が家の狭い車庫の岩にぶつけずに車を収納するのは、
 運転よりは数段ムツカシイ技術がいるのだが、
 果たしていつまで「無傷で保てる」だろうか?
 先ず、第一日は無事収まった。
 以前の車と同じ3シリーズなのだが、「僅かに」大きいように思う。
 その「僅か」が大変なのである。
2022年10月5日

カワサキのGPレース参戦 物語

投稿者 : rfuruya

カワサキ単車の昔話

★昨日、David L de Bottn さんがFacebook のコメントで、
 このように言ってこられたのだが、
 このご返事を書くのは簡単ではないので、
 当時のカワサキのレースについてブログに纏めてみることにする。
 カワサキがGPに参戦したのはこの前年の1966年のことなのだが、
 それは大変なスタートだったのである。
1966年カワサキが初めて世界GPに参戦した年で、
 GPレース大槻幸雄監督
 ジュニア・ロードレースが 安藤吉朗監督
 マネージャーが私・古谷錬太郎ライダー契約担当だった。
この年1966年の日本グランプリは、10月15日から16日にかけて、
この年開業した静岡県の富士スピードウェイで開催されたのだが、
ホンダのワークスチームは、FISCOの30度バンクが危険という理由で欠場したが、
この年からカワサキブリヂストンが参加することとなったのである。
★この年からカワサキは世界GPに参戦したのだが、それは大変な年だったのである。
 この年の1月に藤井敏雄と契約し欧州GPの転戦からスタートしたのだが、
 8月27日マン島でのプラクティスで転倒死亡するという事故に出会うのである。
     
 10月に行われる日本GPには、シモンズ・安良岡に加え
 デグナーと契約する方向で決まったのが9月の初めのことである。
 カワサキにとってはGP参戦も初めてだが、
 外人ライダーとの契約も初めてで、どんな契約内容にすべきか全く解らないので、契約担当の私は困ってしまって、
 外人関係の契約についいてホンダの前川さんに教えて貰いに、
 鈴鹿まで伺ったのが9月10日のことなのである。
 契約書の最後に書く「疑義を生じた場合は甲乙円満に話し合い・・・」という日本式は絶対ダメで、
疑義を生じた場合は甲の判断に基づくものとする」と明確に書くことと
教えられたりした。
 そしてデグナーとの契約も無事完了したのだが、
 9月29日FISCOでのプラクテイスでデグナーは転倒し、
 頭を打って、入院してしまうのである。
 10月16日のGPレースには、
 シモンズ・谷口尚己・安良岡健の3人で出場するのだが
 その時のマシンである。
 
  結果は安良岡健が7位だった。
  
★ 翌1967年はマシンもこのように変わって、
   
  金谷秀夫が見事3位に入賞するのである。
  下表では車両スズキとなっているが、カワサキの間違いである。
 金谷秀夫は「神戸木の実レーシング」からカワサキに加入し
 1967年の日本GPで世界GPでは125ccクラスで3位入でし、
 1969年の全日本セニア250ccクラスチャンピオンになるが、
 カワサキがレース活動を縮小したため、
 1970年ヤマハに移籍するのだが、
 彼の故郷はカワサキであることは間違いない。
 晩年、カワサキの催しにも必ず出席していたのだが・・
 これは星野一義神戸木の実の新田さんと。
 
  金谷秀夫カワサキのGPレースの草分けと言ってもいい。
  私個人とは特にいろいろと親しい関係がって、
  カワサキのゴルフ会・Z1会のメンバーでもあったのだが、
  ほんとに早く逝ってしまった。
2022年10月4日

記憶力 雑感

投稿者 : rfuruya
★ 人間の記憶力などどれくらい覚えているのだろうか?
 来る11月の「Z150周年記念祭」に「カワサキの単車事業の黎明期の話」をするように頼まれているのだが、
 昭和35年(1960)年の事業スタートなので、
 今から60年以上も前の話で、大体のことは覚えてはいるのだが、
 このスピーチは多分私の人生最後のスピーチになるだろうと思って、
 旧い当時の日記を先日来「読み返している」のである。
 
 若いころから日記をつけているのは、こんなことがあると重宝する。
 そんな旧い日記を読み返してみると、
 改めて「人間の記憶力」などいい加減なものだということが解るのである。
 
★ カワサキの旧い話など、それがどのくらい正しいのか?
 たまたま日記を書いているから解るのだが、細部の前後辺りは記憶が違っていることはいっぱいあって、
 「人間の記憶力」などその程度のものだと思うのだが、
 それがちょっと違っていても、大勢には影響はないものだと思う。
 世の中には、日記を書いてる人など少ないだろうから、
 「想い出話」などは、「大雑把な記憶力」の範囲で語られているのだろう。
 それでも大した問題にはならないのである。
★今回カワサキの単車事業がスタートした昭和35年(1960)から、
 Z1・Z2が世に出た昭和48年(1973)まで、
 私の27歳から40歳までの13年間なのだが、
 125B7に始まって、B8・85J1・A1・H1から名車Z1/Z2の誕生があったし、
 国内市場からスタートし、アメリカ市場の成功で二輪事業は確固たるものとなったのである。
 国内市場に於ては、他社に先駆けて「二輪専門店販売網・特約店制度」がスタートすることが出来たそんな13年間だったのである。
 そんな期間の詳細が、日記を読み返してみて、改めて想い出すことも多かったのである。
そんな日記を今もつけている。
 昨日は「記憶力」のことも書いたので、
 このブログにも「記憶力 雑感」と記憶力について書いているのである。
 来る11月19日のスピーチを記憶力だけに頼らずに、
 私自身「納得のいくもの」にしたいので、
 この10月もいろいろ調べてみたいと思っている。
2022年10月3日

「〇〇〇〇〇 雑感日記」 と検索すると

投稿者 : rfuruya

 私の生き方、考え方&意見

★今朝の朝日新聞の一面TOPはこんな記事だった。
 検索の「神」祈る企業
 グーグルのアルゴリズム業績を左右
 との見出しで始まっている。
 
 読んでみるとGoogleの検索順位の話なのである。
グーグルは、検索結果の表示順などを決める計算手順である「アルゴリズ」の大規模な変更を発表したというのである。
世界のネット検索市場でシェア9割超を持つグーグルは、日本でもほぼ「1強」状態にあって、
そのアルゴリズムは、企業にとって業績が左右されるほどの大きな存在だというのである。
自社サイトの検索順位が下がれば訪問者が減り、売り上げにも影響を及ぼしかねないので、
企業はSEO担当を置いたり、外部のSEO専門家に依頼したりしてグーグル対策を取っているのだとか。
★実は私自身も「Googleの検索」には大きな関心を持っている。
 Googleの検索順位を上位に保ってTOPページに現れるようにするには、
 その「発信頻度」や「発信内容」によって「一般ユーザーの反応」を高度に保つ必要がある。
 Googleは「大企業とか個人とかは一切関係なく、非常に公平に」評価をしているように思う。
私自身は毎日欠かさず「雑感日記」というブログをgooブログで発信し、
それをFacebookにも、ツイッターにも転載しているのだが、
その「雑感日記」の評価は非常に高くて、
雑感日記」というブログは世の中にはいっぱいあるのだが、
「雑感日記」と検査すると「私の雑感日記」がTOPに現れるのである。
 長岡京市の中小路市長も雑感日記というブログを書かれているのだが、
 そんな中小路市長の雑感日記よりは、
 定年後の89歳のおじんの雑感日記のほうが、ずっと上位に並ぶのである。
私の雑感日記の評価」が高いのは、
  それを読んでくれる読者の多さと、gooのブログだけではなくて、
 「Facebookやツイッターに転載」するからだと思う。
 一言で言うと「そんな仕組みの勝利」が貢献していて、
  ● gooのブログでは、毎日700人ぐらいの方が訪れ、
  ● 延べ2000人ほどの閲覧数で、gooだけでも結構多いのだが、
  ● FBでは300人、ツイッターでは50万人のトモダチが、
  ● 目を通すことが出来るから
 だと思うが、
 それが毎日休むことなく発信され続けることが「評価されている」のだと思う。
 
 今年はZ1の50周年記念の年に当たるのだが、
 「Z50周年記念・雑感日記」と検索すると私のブログがずらりと並び、
 「カワサキモータースジャパン」よりも上位に並ぶのは
 その発信頻度や内容が多いからだと思うのである。
★ このようにGoogleから高い評価を得ると結構、日常的にも便利で、
 「〇〇〇〇〇 雑感日記」と画像検索すると
  雑感日記に取り上げた画像がまとまって現れるので、
 写真の整理をGoogleがやってくれてるみたいなものである。
 「孫・雑感日記」では、こんな孫たちの写真が並ぶし、
 「三木・雑感日記」では、三木のこんないろいろの写真が現れるし、
 「カワサキ・雑感日記」と検索すると
 「カワサキ」に関する写真が項目ごとに整理された形で、
  Google が1000枚以上も保存してくれているのである。
 そんなんことだから、
 私は写真の整理など一切せずに、Google さんにお任せなのである。
 ことほど左様に、
 「ネットの世界」はGoogleが非常に公平に、大企業も個人も関係なく、
 「そのネットの世界の活動評価」をしてくれるのである。
 一般にホームページなど企業は立派なものを金を掛けて造られるのだが、
 創るだけでその発信頻度は少ないので、訪問者も少なく、
 Googleの評価も高くならないのだと思う。
情報発信のシステム」を基本的に見直さねばならないのだと思うのだが・・・
2022年10月2日

紅い花なら曼殊沙華  彼岸花

投稿者 : rfuruya
★「紅い花なら曼殊沙華」と唄われた彼岸花
 田んぼの畔などに自生しているのだが、
 昨年秋の彼岸の墓参に行ったときに明石の長寿院にいっぱい生えていたので、
 何本か掘って来て庭に植えたのだが、今になっても咲かないので枯れてしまったのだろうか?
 
 朝、走りに行く三木総合防災公園にも、
 こんなにいっぱい咲いているのを見て、
 昨年植えたのを思いだしたのである。
★こんなにいっぱい咲いているので、
 「簡単に咲くのか」と思ったのだが、ちょっと調べてみた。
 最近は何でもネットで調べると解るのだが、
 結論的に言うと、昨年咲いてるものを掘って来て、
 植え替えたのが間違いだったようで、
 ざっとこんな記述がある
ヒガンバナ(彼岸花)は、ヒガンバナ科の多年草で、別名は曼珠沙華。
原産地は中国大陸で、日本においては帰化植物に分類される。
分布は北海道や東北地方を除く日本全国で、秋の彼岸の頃に、
鮮やかな赤い花を咲かせ、秋の終わりに葉が伸びて翌年の初夏に枯れるという、多年草としては珍しい性質を持っている。
彼岸花は球根植物といって、種まきをして育てるのではなく、球根を植えて花を咲かせる宿根草のひとつです。
彼岸花は夏に植えて秋に咲く、夏植え秋咲き球根として知られています。
球根を植える時期彼岸花の植え付け時期は、6月初旬〜8月下旬ごろまでです。
開花してからの植え替えは嫌うので、必ずまだ発芽していない球根の状態のものを夏に植えましょう。
彼岸花の増やし方は、球根を分ける「分球」が一般的で、4月から6月頃に土を掘って、子球を手で割るようにすればいいだけです。ただし、植えてから、花を咲かせるまでは2年から3年かかります
 とこんな風に書かれているので、
 植える時期を間違ったのだと思う。
 それと花を咲かせるまで2~3年も掛かるそうである。
 Amazonの通販でも売ってるので買えば簡単なのかも知れぬが、
  
 植える時期が6月~8月とあるので、
 来年、まだその気が合ったらその頃に注文してみようと思っている。
2022年10月1日

三木の道路と安全運転   雑感

投稿者 : rfuruya

★ 三木市の道路は全国的に見てもTOPレベルではないかなと思っている。
 二本の高速道路が走っているし、
 175号線も、毎朝走りに行く三木総合防災公園の道も高速道路ではないが4車線である。
 これはその三木総合防災公園の真ん中を通っている一般道路だが、
 今朝はここで警察が「ネズミ捕り」でスピード違反の取り締まりをやっていた。
 公園を通っている橋の上から、この道路は眺められるので
 どれくらいの割合で「スピード違反車」がいるのか、
 ずっと眺めていたのだが、殆どの車が安全運転なのである。
 結構長い間観ていたのだが、橋の上からは「違反車」を見ることが出来なかった。
  
 ちょうど、入り口の違反者車を止めるところに来た時に、
 1台の車が捕まっていた。
★ ずっと以前の私の若いころ、
 日本に車が普及したころは、全般に車の運転は「飛ばしていた」と思う。
 私自身も、2度「スピード違反」で捕まっているのだが、
 最近は、決して「スピードを出さない」安全運転に徹している。
 一般的にも、昔のように無茶無茶飛ばす車もなくなったし、
 交通事故の死者が1万人を超えていたのに、
 1970年の16,765人をピークに減少に転じ、
 今では3000人を割っているのも、
 世の中全体が大人になったというか「安全運転」の方向に転じているのだろう。
 そんなことで、今朝の「ネズミ捕り」でも捕まる車は少なくて、
 道幅も広いし、車も少ないので飛ばしやすいのだが、
 安全運転の車が殆どなのである。
 信号のある一般道路は、幾ら飛ばしてみても信号でひかっかるケースが多く、
 結果的にそんなに早くはならないということが分かったのか?
 アメリカの速度制限のない、文字通り「フリーウエイ」を走ってみても、
 車の流れは120kmぐらいなので、
 そんなに無茶苦茶飛ばす車は少ないようである。
 クルマ社会では、アメリカが一歩も二歩も上だけど、
 日本もアメリカに近づきつつあるように思う。
 今朝の状況を見て「ネズミ捕り」など要るのかな?
 と思ったりした。
2022年9月30日

庭雑感  その19    草とごみ    

投稿者 : rfuruya

私の生き方、考え方&意見

★ 小さな庭だが、毎日特にすることのない身にとっては、
  「庭仕事」は貴重な作業である。
  時間つぶしにもなるし「綺麗になる」という効果もある。
  その一つとして、今年になって続けている「草抜き」だが、
  「庭に草がなくなった」と言えば極端過ぎるので、
  「庭には大きな草はなくなった」と言っておこう。
 まずはこんな区画ごとに、草を抜いていくことから始めたのだが、
 そんな区画をどんどん広げていったら、
 9月末現在はこんな区画の中には「草は1本も生えていない」し、
 庭全体でも大きな草など生えていない。
 
★ 今は実は「草抜き」ではなくて、区画ごとに「ごみ拾い」をしている。
 ごみを拾うのは、草よりは数段ムツカシイ。
 ご覧のように、草は生えていなくても、
 「小さなごみ」はいっぱいなのである。
 いま、そのごみを拾い始めているのである。
  
  小さなごみがいっぱいなのが、お判り頂けると思う。
 これも「庭全体」はとてもムツカシイので
 こんな「小さな区画」から始めだしたところである。
 拾ったつもりでも、写真に撮ってみると、まだいっぱい残っているが、
 時間をかけて拾っていくと、
 このレベルにはなって、肉眼で見る限りは「きわめて綺麗」なのである。
★ 「つまらぬことを」とお思いだと思うが、
 やってる本人は励みにもなり「結構満足感」を持っている。
 現役時代からずっと「目標をもって」人生を過ごしてきたのだが、
 この歳になると「こんな目標」ぐらいしか見つからないのである。
 別に金が掛るわけでもないし、
 自分自身が満足するには「いい目標」だと思っている。
 そのうちに、ほんとに庭にごみが落ちていない状態になったら、
 ご報告したいと思っているのだが、
 果たして、そんな日は来るのだろうか?
2022年9月29日

9月28日は息子の誕生日

投稿者 : rfuruya

★ 9月28日は息子の誕生日である。
 そんなことはすっかり忘れているのだが、Facebookが思いださせてくれる。
 「大治、誕生日おめでとう」とFacebook で発信したが、
  果たして見るのだろか?
  
  息子は一応はFacebookni登録はしているが、
  家内に似て一切投稿などしないし、
  多分、この「誕生日おめでとう」にも返信はないものと思っている。
  でも、幾つになったのだろう?
  今年は12月には結婚60周年だから、59歳になったのだろう
  早いものでもう来年は定年なのである。
  これは何年か前、ロスの空港で写した写真だが、
  この世の中に「古谷」と名乗る身内は、この3人だけである。
  
  あと何年、私は生きれるのだろう?
  30年後にはどんなことになってるのだろう?
  30年経つと、息子も今の私と同じ89歳である。
  孫の古谷仁は、どうなってるのだろう?
  その頃までには結婚して、男の子でも生まれてるのだろうか?
  そんなつまらぬことを、息子の誕生日に思っている。
2022年9月28日

ありがとう 安倍元総理

投稿者 : rfuruya
★ 安倍元総理の「国葬」いろいろな意見がありましたが、
 昨日2時からしめやかに行われました。
 この「国葬」についてはいろんな意見もあって、
 国葬が行われた当日にも、全国のいたるところで反対のデモなどもあったようですが、
 私は素直な気持ちで「国葬のテレビ中継」を見ることが出来ました。
★こんな若い方が立ち上げた「安倍元総理デジタル献花プロジェクト」というのがあって、
 一時沢山の方が押し寄せて繋がりにくくなっていたようですが、
 国葬が終わりに近づくころには繋がったので、
 私も日本国民の一人として、素直な気持ちで「献花」をさせて頂きました。
 
 現在の献花数は330、000名以上になっているようですが、
 今からでも間に合うかも知れません。
安倍さん、有難う」という感謝の気持ちをお持ちの方はぜひ、ご献花を。
   
  私は菊の花を選び、
  このように安倍さんに、素直に感謝の気持ちを贈りました。
  安倍さん
  日本の国のためにいろいろ尽くして頂いてありがとうございました。
  「美しい国・日本」を創るために私自身も頑張りたいと思います。
  国葬、いろんな意見がありましたが、無事進行中です。
  安らかにお眠りください。
   
★ 安倍元総理デジタル献花プロジェクト と検索されると、
 あとはそんなにむつかしくはありません。
 画面の花をクリックすると、
 それぞれの方のメッセージを読むことが出来ます。
2022年9月27日

カワサキコンバット三橋実と 神戸木の実の片山義美 と・・・・

投稿者 : rfuruya
★ 若いころカワサキのファクトリーチームを担当したこともあって、
 当時の世のライダーたちとは、いろんな形で繋がっていて、
 今回、11月に開催する『Z50周年祭』にも多くの有名ライダーが参加してくれるのだが、
 そんなカワサキの二輪事業に直接大きな影響を与えたのが、
 1962年(昭和37)11月に開催された
 日本で初めての本格的な鈴鹿ロードレースだったのである。
     
 このレースでは、250㏄が三橋実・350㏄が片山義美と二人のヤマハライダーが優勝するのだが、
 三橋実・片山義美のこの二人のライダーこそ、
 カワサキのレースを育ててくれたと言っても過言ではないのである。
 こんな当時の250ccの記録をネットで見つけたが、
 ここに名を連ねている三橋・本橋・片山・宇野さんは知ってるし、
 宇野順一郎さんは今回の『Z50周年祭』にもご出席なのである。
 
★ この250㏄優勝者の三橋実は、
 カワサキが本格的にレースを始めた時から関東の厚木に『カワサキコンバット』というチームを創って、
 安良岡健とともに梅津次郎・岡部能夫・星野一義などの若手ライダーの育成にあったってくれたし、
 当初は自らライダーとして出場してくれたのである。
 こんな貴重な写真がネットの中にあった。
 多分、第1回MFJ 全日本モトクロスの相馬が原での写真ではなかろうか?
 ヘルメットの『1の字』がコンバットのマークである。
 
 これがスタート間もないころのカワサキのファクトリチームのメンバーで、
 右から6人目が三橋実なのである。
 このメンバーの殆どがカワサキコンバットなのだが、
 その中の二人右から3番目と4番目が神戸木の実クラブ山本隆・歳森康師で、
 皆さん後にはみんな有名ライダーに成長するのだが、このころはまだ名もない若手ライダーだったのである。
 片山義美さんは、ヤマハ・スズキとの契約で、カワサキとの関係は直接なかったのだが、
 そのメンバーたちがみんなカワサキとの契約だったのである。
 これはその『神戸木の実クラブ』の会合が三木で開催された時の
 片山義美を囲むカワサキのレースライダーである。
 このほかに歳森康師と星野一義も一時『神戸木の実』に名を連ねたのである。
 
 日本での初めてのロードレースの優勝者・三橋実と片山義美がカワサキとこのように密接に繋がっていたのは、ほんとに不思議なご縁なのである。
★ 若し鈴鹿サーキットが無ければ、
  三橋実と片山義美との出会いが無ければ
  カワサキの二輪事業もレースも全然違ったものになっていたのだろう。
  そんな鈴鹿のロードレースレースだったし、
  このレースの見学を裏で画策したのは
  兵庫メグロの西海義春社長なのである。
  もっと極端に言えば、本田宗一郎さんが鈴鹿サーキットを造らなかったら
  カワサキの二輪事業もなかったかも知れない。
     
  これはずっとのち、兵庫県でのモトクロスレースに本田宗一郎さんがお見えになった時の、西海さんとの貴重な写真である。

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