カワサキの昔話 3題
★カワサキの二輪事業には、私はご縁があって
カワサキが2輪事業をスタートさせた1960年(昭和35年)から
約40年、1999年まで担当させていただいたので、
その間の想い出話もいっぱい持っている。
今では普通に語られていることも、
ちょっとしたことから残っているので、
若しあの時「そんな判断」をしなかったら、どんなことになっているのだろうか?
そんな「カワサキの昔話 3題」をご紹介してみよう。
★まずはカワサキだけが今も持っている「ユーザークラブKAZE」だが、
kAZEがスタートした1989年当時は、
ホンダはHART,ヤマハはYESS、スズキはじゃじゃ馬など各メーカーともユーザークラブを持っていて、
むしろカワサキはそれに追随する形だったのである。
ただ遅れてスタートしたカワサキは、
KAZEのユーザー管理をするソフト会社「ケイ・スポーツ・システム」を立ち上げて、
本格的に取り組んでスタートしたので、30年も経った今も、残っているのはKAZEだけなので、
当時は3万人に近い会員で他メーカーを圧倒していたのである。
当時ホンダのHARTは会員10万人と豪語していたが、
現場に集まるユーザーの数はカワサキが圧倒していたので、
ホンダさんから「カワサキは一体何人いるの」との質問を受けたりしたのだが、
「ホンダさんは10万人」と言ってるじゃないですかというと、
「あれは延べ10万人で、現実は1万人ちょっとです」というお答えだったのである。
カワサキが3万人もいて、今も残っている理由は、
どのメーカーも年会費を取るので1年経つとその期限が来て、
毎年人数を維持するのは結構ムツカシイのである。
カワサキはそれを見越して会員カードをJCBと組んで「JCBカード」にしたので、
その期限が来ても辞めることがムツカシイのである。
その第1号の機関誌は1989年1月に発行されているのだが、
こんな立派な形ではなくて、カワサキのニュースを何枚か、
一つの封筒に入れて送っていたのが最初で、
こんな立派な形になったのは数か月後のことなのである。
★今回の機関誌にはこんな「ジェットスキー」のニュースも載っているのだが、
ジェットスキーがカワサキの正規の商品として取り扱われるようになったのは1983年からで、
それまではこれは二輪事業部の商品ではなくて、
発動機事業部が開発し、アメリカのリンカーン工場で生産し、
アメリカの販社KMCだけがアメリカ市場で販売していて、
当時、日本には商社を通じてホントに少数が輸入されていたのある。
そういう意味では「カワサキの正規商品」ではなかったのだが、
これを川崎重工業の正規商品として、取り扱うようになったのは、
1983年大庭浩本部長の頃で、当時の企画課長武本一郎さんが発議し、
ジェットスキーが日本を含め世界展開になったのは、それ以降のことなのである。
若しあの時、武本課長がそんなことを言いださなかったら、
ジェットスキーはその後どのような展開になってたのだろうか?
ただ、その時も私は国内に「ジェットスキー専門」の販売会社を設立し、
ボート屋などではなくて「ジェットスキー専門販売網」を創ったし、
JJSBAなどのレース協会と新しい遊びジェットスキーの世界を創りだしたのである。
★ 今回のKAZEの裏表紙には「Ninja」が載っている。
最初の「Ninja」もちょうどその頃、大庭本部長時代に開発されたものだが、
そのネーミング「Ninja」はアメリカのKMCのアメリカ人の発案で、
このネーミングに明石サイドの技術部が「忍者の印象」が暗いと猛反発だったのである。
その「Ninjaのネーミング」について、
今では日本側が反対したとネットなどでも書かれているが、その記述は何となく迫力がない。
実はより具体的にその経緯を知ってるのは私だけなのである。
日本側の猛反対の意向を受けて、アメリカ出張時に大庭本部長自らKMCに説得を試みられたのだが、
アメリカ側の反発が強硬で、当時のKMCの田崎社長が徹底的に反論、
「Ninja」はそんな暗いイメージではなくて「007のようにカッコいい」イメージだというのである。
事実アメリカでは当時Ninja という映画などもあって、そのイメージは日本とは全く違った新しいものだったようである。
その時は大庭本部長をしても説得することが出来ずに、
最初のマシンはアメリカだけが「Ninja」で、
欧州市場などには「GPZ900」のネーミングで発売されたのである。
その大庭さんと田崎さんの「Ninja論争」のその場に同席してたのが私だけなので、そんな経緯を知ってるのも私だけなのである。
その後、Ninja のネーミングは好評で
このGPZ900シリーズだけではなくて、
いまではカワサキを代表する「スーパースポーツ車の冠」として使われているのである。
★ こんなカワサキの昔話を語れるのも、今では私だけになってしまったのかも知れない。
世の中は「ひょんなこと」から「ひょんなこと」になるのである。
何事も物事は片手間ではなくて「ちゃんと専門的に取り組むこと」が肝用なのである。
私だけが語れる「カワサキの昔話 3題」である。