庭 雑感 その2
投稿者 : rfuruya
★ 人生89年目だが、子どもの頃から何とか庭のある家に住んでいる。
所謂、マンションだとか賃貸住宅に住んだのは新婚時代と大阪時代の延べ4年間だけで、
広い狭いは兎も角、何とか庭付き住宅に住めたのである。
何でも成長するものは好きで、
庭の樹々も草花類も鯉や金魚やメダカなど、庭に関係のあるものにはずっと興味・関心を持って生きてきた。
昨今、コロナ時代で人とのお付き合いは激減したが、
特に退屈するでもなく過ごせているのは『庭仕事』で時間が潰せるからである。
樹々も成長もするがこの家に住んで50年近くになるが、
50年もすると樹も枯れるという現実にいろいろと遭遇した。
勿論、最初から植えた樹も残っているのはあるが、
半分以上は枯れてしまったから、その分新しく植えている。
★ 最初の庭は、10年もかかって庭師の藤本さんがコツコツと造ってくれたのだが、
10年も掛ったのは一度に払う金がなかったから、
毎年払える分だけを全部お任せして造ってくれたのである。
戦前からの庭師で『私は造園屋ではない』というのが口癖の藤本さんで、
『花のつく樹はもう一つだ』と、マキやモチやツゲなどそれもなかなかいいものを植えてくれたのだが、
なぜかツゲは10年ほどで枯れたし、もみじも30年ほどで枯れてしまった。
そんな後には、私が勝手に植木屋で買ってきて自分で植えたし、
前庭のツゲが並んで植えてあったところは全部抜いて『薔薇』にしてしまった。
薔薇をやりかけたのは、定年後だがそれでももう20年になる。
一時は無茶苦茶薔薇に凝っていた時期もある。
★ これらはその当時の写真だが、
『花のつく樹はもう一つだ』と言ってた藤本さんが見たら何と言っただろう?
一面薔薇で埋まっているのである。
正面にも薔薇いっぱいだったのである。
同じ場所だが、このように変わるのは、
枯れたり新しく植えたりするからだろう。
この写真のほうが後なのは、お隣の家の様子が新しくなっている。
写真に撮るのは薔薇はなかなか楽しいのだが、
世話は1年中何かやっておかないとダメで、なかなか大変なのである。
一時は60本ほどあったので、
花柄を積むだけでも結構大変だったのである。
★ こんな薔薇たちも、みんな新しく買ったのではなくて、
挿し木で増やしたのが殆どなのである。
我が家の庭には同じ種類の薔薇や植物が沢山あるが
それらは殆どが挿し木と株分けで増やしたものが多い。
同じ「ローズ」という名前だが、『クリスマスローズ』は薔薇ではないが、
株分けでいっぱい庭には植わっている。
次回は『クリスマスローズ』について纏めてみよう。
川崎重工の神戸工場全規模を賄える海外工場を友好国と交渉して、震災だろうが、津波だろうが、何があっても、生産と開発が止まる事の無い様に、直ちに交渉を始めて、災害時生産避難場を確保と、災害救援スタッフを過疎地域の食糧生産スタッフとして、分散配置し、国家と国民を救護しながら企業力を低下させない体制を勤皇大企業群で構築して置かなければ、大変な事になりそうですね。その万全の緊急体制作りが、そのままに新しい日本の国家発足に直結する可能性が高いと考えます。
オーストラリアの正常化には期待が大きいですね。国際情勢は、事情の変化から、それらが貪欲に走ると、筋書きそのものが、大変化すると考えます。冷戦は長引きそうですね。インドも重要な避難生産場の一つですね。サウジアラビアとか待ちきれない思いではないでしょうか?或いは国内工場を、基礎から免震構造で再建して、
スエズ運河式の進水可能な津波対策工場を山裾に新造すると、平野部の住宅街も、事前避難都市移動して災害から逃れる切っ掛けになります。妨げる存在は、子供たちの未来の為に排除した後に慈善保護しましょう。実務的な更生能終活。
競合他社の製品の組み立て、販売まで日本基準で下請け運営すれば、海外避難生産場の新設が容易に進むと思われます。潰し合いにもなりません。
何に付け、それぞれの国々から、希望のデザインと機能をヒアリングして、オーダーメイド生産をして避難先を喰わない経営が成り立つ路線は棄てない方が、摩擦を生じないと思われます。各国の政治家と国民の方々次第の展開になります。
受け入れたい国と、勤皇大企業との思想と理念が一番の問題になります。
オーダーメイドだと開発者費先払い請けで、納品価格を、決めて納品ですね。商業知識無し。