私のアーカイブス・定年後 その3
投稿者 : rfuruya
★2001年が定年後3年目なのだが、68歳でもう60歳台も最後の2年間である。
北海道川重建機の顧問期間も5月末で終わって、
6月からは「年金」だけの「定年後の生活」が始まっている。
7月8日に突然娘婿の門野匡秀がやってきて「パソコンを買ってくれ」というのである。
何か会社で一括して買ったようだが余ったのでということだったと思う。
富士通のパソコンだったのだが、どんな形だったのかも定かには覚えていない。価格は18万円だったのだが、安かったのかどうかもよく解らない。
それまではパソコンなど全く「無縁の存在」だったのである。
パソコンも携帯電話も普通に使われていた時代なのだが、
私は現役時代は一切関係なく過ごしてきたので、これがパソコンとの全く初めての出会いだったのである。
パソコンに堪能な方と二人でやってきて、セッテングなど全部してくれたのである。
Nifty が何なのか、未だによく解らないが、
ユーザー名もメールアドレスもその時設定してくれたままで、
私のメールアドレスは「・・・・nifty.com」なのである。
パスワードは結構ムツカシイのだが、その時その方が作ってくれたものを今でもそのまま使っている。
どんなパソコンだったのかも記憶にないのだが、
1998年代のパソコンの写真はこんな感じなので、
この写真の左のものに近かったのではと思っている。
そんなことから、突然私の「パソコン生活」が始まるのだが、
独学で、本など買ってきて結構一生懸命勉強していて、
「パソコン漬け」の生活が始まっているのである。
1か月後の日記には「パソコンだんだん解ってきた」とあるし、
10月にはExciteの表も作っているが、今はそんな表は作ることもないので、
その作り方などはすっかり忘れてしまっている。
然し、このパソコンの出現はその後の私の生活の基盤になっていて、
若し、あの時娘婿がパソコンを持ってこなかったら、多分自分でパソコンなどの世界には入っていなかっただろうと思うし、
そういう意味では娘婿に感謝なのである。
だからこの時期の最大の話題は「パソコン」なのである。
★2001年には「アメリカ同時多発テロ事件」が発生している。
それはこの年の9月11日のことなのである。
これは今でも鮮明に覚えている。
そんな大事件のあった年ではあるが、
私の当時の生活はまことにのんびりしていて、
水泳に行ったり、犬の散歩をしたり、庭木の剪定など静かに始まっている。
なぜか鋏を使うのは好きで、庭木の剪定などは自分でやろうと思っていた。
だから、将来高い梯子に上らなくても剪定ができるようにと、
立派な背の高い木の天を思い切って切ってしまったりしているのである。
このあたりが私らしくて、「思ったらすぐ実行」なのだが、
今思うと「よく思い切って切ったな」と思う。
背が高く立派に育っていたのだが、その3分の1ほどを切ってしまったのである。
そんな判断のお陰で、それから約20年経って今はこんな状態で
何とか「見られる」ようにはなっているし、
高い梯子に上らなくても剪定ができるので「正解だった」と思っている。
尤も、プロに頼んで剪定をしてもらえば、庭の木はもっと立派に育ったのだろうが、
それでは自分でする「選定の楽しみ」がなくなるので、
どちらがいいのかは、大げさに言えば「生き方の問題」だろう。
高い梯子は必要ないので、88歳の今も庭木の剪定は大丈夫なのである。
★家もずっと永年手入れもせずに放っておいたので、トイレも直したし、床の張替えなどもやって何とかきれいになったのである。
台所のキッチンユニットなども100万円の単位の出費ではあったが、
思い切って新調しているのである。
そんな「今後の新い生活への備え」みたいなものをやった年だったのかも知れないが、
まだ現役時代の最後のほうの、子供たちへの出費もなくなって「裕福な時代」の生活態度が抜け切れてなくて、
今思うと「結構な出費」をあまり気にせずにやっている。
大したものではないが玄関にこんな椅子を買ったのもこの時期で、
何度か塗装をやり替えたが、もう20年も経っているのである。
なんでも「欲しいものはすぐ買った」そんな時代だったようである。
それから20年も経った昨今は、全く生活態度が変わってしまって、
「大きな出費など全くしない生活」が続いている。
不思議なほど「何も欲しくないのである」のである。
こんなのが所謂「老後の生活」で、
まだこの時代は「老後の生活の準備」の時代だったのかも知れない。
★この当時は娘の家族もまだ西神にいて、
孫たち3人がまだ小さかったので、結構いろいろと「遊んでやっている」
水泳は殆ど孫たちと一緒だったし、
いまよく散歩に行く三木山森林公園に虫取りの付き合いなどしたのもこの頃である。
1月には74キロだった体重が80キロに増えてしまった年でもある。
まだ整形外科のお世話にもなっているのだが、
ゴルフはまだ40台の前半で回れている、そんな60歳台の終わりの2年間である。