昭和を55年、平成を31年、令和を3日生きた、感想
★振り返ってみると『昭和を55年、平成を31年、そして令和を3日』生きて今86歳である。
私は自分の考え方を『ずっと文字に残して』生きてきた。
20歳から日記を書いていることもあるのだが、19歳の時に、父を亡くしてしまったのだが、生前『男は自分の言ったことには責任を持て』と言われて、それを頑なに守っているのである。
『あの時言った意味はな・・・』などと弁解する人もいるのだが、そんな言い訳はしたくなかったし、ホントに間違っていたら『ちゃんと謝るべき』だと思っていて、現役時代の自分の考えもすべて文章で残して公にしているのである。
日記もそうだが、ネットの世界でもその殆どが『自分の思ったこと、感じたこと』を書いている。
このブログも、そんなことから『雑感日記』と名付けているのである。
昭和8年(1933)に生まれてからの自分の人生をこのような表に纏めている。
20歳以降は、日記から纏めているので、まず間違いないのである。
● 1ページ目は、39歳まで、まだまだ若かった『昭和の時代』である。
学生時代は野球ばかり、川崎航空機に入社してからは、IBMや、レースや、東北の仙台事務所など、引き継ぎなど一切ない新しいことばかりがやれて、39歳ごろは二輪業界で初めての特約店制度に取り組んでいる。
● そして2ページ目は、1989年までが『昭和の時代』、このころはカワサキの二輪事業は非常に厳しい時期だったが、何とか乗り切れて、1990年代に『平成』を迎え、2000年からは定年後の生活が始まっている。
● 新しく『令和』を迎えて、実は昨日このように『新しい3ページ目』を書き足したのである。
2033年(令和15年)までの表にしたのは、この年を若し迎えることが出来るなら、ちょうど100歳なのだが、『何とかなるかな』とも思っているのである。
父は52歳でなくなったし、伯父も50代後半でこの世を去ったのだが、祖母は102歳まで生きたし、母は103歳まで生きたので、若しそんなDNAが少しでもあると、『100歳までは大丈夫』かも知れないのである。
★それは兎も角、『昭和の時代』は、目まぐるしく変わった経験をして生きた時代だったな、と思っている。
昭和20年の終戦までは一言で言うと『お坊ちゃま』で育ってきたと言えるだろう。人生で一番豊かな暮らしをした時代なのである。
たった1枚だけ残っている『父と私のツーショット』である。
未だ小学校前だが『お坊ちゃま然』としているのがお解りだろう。
13歳で終戦を迎え、引き揚げてきてからは、それまでの生活とは全く違った人生を歩んだし、ホントに沢山の経験をしたのだが、それを別に『苦難』などとは思わずに、『楽しんで過ごす』ことが出来たのがよかったのだと思う。
中学・高校・大学そして川崎航空機に入社、新規事業の単車事業をその当初から担当できて、先輩から教えて貰うというような人生ではなくて、私だけでなくみんなが自分で『切り開く人生』だったことが幸いだったと思っている。
昭和が終わるのが57歳の時なのだが、『昭和の人生』は、一言で言うと『非常に苦しかったが、ホントにオモシロかった』のである。
常に『激動しながら変化し、且つ成長し続けたた時代』で、自分自身も『激動を経験しながら成長した』と言っていい。
★改めて、『平成という時代』を振り返ってみると1990年代の始まりとほぼ一緒なのである。
現役最後の10年間で、それまでの経験を生かしての国内市場担当だった。結果としては最高にいい好成績の10年間だったのである。その内容・結果は華々しかったが、結構静かに動いていた。
家庭も、非常に苦しかった時代を過ぎて、二人の子供たちは独立し、相次いで結婚し、孫たちも産まれて、平成という時代はむしろ自分のことよりは、『こどもたちの時代の幕開け』だったのである。
昭和の時代、経済的には苦しかった時代がずっと続いたのだが、不思議なほど『金に執着』はしなかったし、貯金なども一切なかった時代だったのだが、平成に入ると子供たちは独立して、家の借金も完済できて、経済的には豊かな時代だった。そういう意味では、平成の最初の10年は至って静かなスタートだったと言えるのだろう。
2000年が68歳、平成12年が、定年後のスタートなのである。
それからでもほぼ20年が経とうとしているのだが、この時期になってまた不思議なほど『躍動』しているのである。
それは一言で言うと、『ネットの世界との出会い』であったし、もう一つは『孫との関係』だと言っていい。
パソコンを覚えたし、ブログ・ツイッター・Facebook・Instagramと次々に出会って、結構ハマってしまったし、NPO The Good Times なども立ち上げて、なかなか『忙しかった』のである。
男の子ばかり4人の孫たちも、既に3人は平成の時代に育って成人したし、それを『見守る』というよりも『一緒に行動した』ことも楽しかったのである。
★そして『令和』が始まった。
未だ3日しか経ってはいないが、果たして何年生きれるのだろう?
この3日間、欠かさずジムに行って、トレーニングもしたし『ダッシュ』もした。いま一番『このまま続けたい』と思っているのは、この『50メートルダッシュ』なのである。『ダッシュ』は筋力がないとダメだと思う。その筋力を維持しさらに強化する目標はなかなかいいと思っている。この2年間ジムに行きだして、体重は一向に減らないのだが、体脂肪は減ったし、『基礎代謝は1500台から1600台に増えた』のである。
これを『一つの目標』にしようと思っている。
孫たちはそれぞれが、『自分の人生』を歩み始めるだろう。
昨日、新しく創ったこの表に毎年1行どんなことが刻まれていくのだろう?
令和元年の行には、5月17・18日に開催される群馬県の二輪イベント『浅間GOOD RIDERS CLUB 』が既に記入されている。
これはひょっとしたら『大きな展開』のきっかけになる可能性を秘めたイベントなのである。
そうなって欲しいと切に望んでいる『令和の3日目』なのである。