江戸時代の東京、そしてそれが残したもの
4月18日、WGRA関東支部設立披露で東京に行ったときにNPO The Good Times の関東総括をお願いしている村島邦彦さんに、こんな江戸時代の東京の地図を頂いた。
それをブログにアップし、Facebookにも紹介したら、かってNPO TGTの理事さんで、今はそのプロジェクト燦々SunSunの世話人をされている河田明彦さんから貴重なデーターを紹介いただいた。
こんな繋がりが、このようなデーターになって残るので、NPO The Good Times のホームぺーじのブログにアップして残して億雄と思う。
村島さん、河田さんそして私の3人の記念すべき合作なのである。
★地図を見るのは結構好きである。
道や方角にも興味関心がある。
先日、東京に行ったときに、こんな江戸時代の地図が印刷されているものを、村島さんに頂いた。
「お城」は今の宮城なのだが、これが広いのはよく解るが、紀伊殿、尾張殿などの大名屋敷がこれがまた広いのである。
お城の周りは屋敷は小さいが、多分これは旗本たちの武家屋敷なのだろう。
町民たちは、どのあたりにどのように住んでいたのだろうか?
江戸時代に江戸に何人の人がいたのか?
Wikipedia などで調べてみても、もう一つよく解らない.
日本の人口が明治の初めに3000万人などとあったので、まあ多くても100万か150万人ぐらいなのだろう。
人口が少ないから、土地などは昔は大した価値などなかったのかも知れない。
一橋殿の屋敷は十万坪と6万坪が並んで記されている。
これらの屋敷など明治以降どのように引き継がれて、今の東京になったのだろうか?
つい先日、テレビで徳川家康の位牌の大きさな当時のご自身の背丈の大きさだとか云っていたが、歴代の将軍の位牌はみんな160cm以下というから、今から思うと小さかったのである。
いろんなこと調べていたら、
平均寿命は、昔の2倍、3倍になっている。
私は、昔の人の倍も生きていることになる。そのうちに100歳は普通になるのかも知れない。
身長の記録がまた面白い。
縄文時代や古墳時代の人のほうが大きくて、江戸時代や、明治時代のほうが小さくなっている。
身長も、平均寿命も、現代の変化は極端である。
そんな時代に生きているのである。
★昨日、昔の江戸の地図をブログにアップしたら、
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/1d3d69cf8324b48d7c563c21ac9aac47
沢山のアクセスを頂いたし、各大名屋敷が壮大で、今どんな形になったのだろうと素朴な疑問を呈したら、
Facebookでは、河田明彦さんから、こんなデーターを提供して頂いた。
http://www.viva-edo.com/daimyouyasiki.html
Facebook のトモダチには紹介したが、これは貴重だと思うのでここにも収録しておく。
加賀藩前田家の屋敷は、東京ドーム3個分だとか。
みんなお城に住んでるお殿様だから、そんなに大きく感じなかったのかも知れない。
みんな1万坪など珍しくないし、東京大学や、慶応義塾にもなっているし、
新宿御苑や、明治神宮、迎賓館などなど、東京の有名な場所は、みんな大名屋敷なのである。