カワサキ単車の昔話 22 ナイジェリアの旅
2023-09-25 05:09:28 | カワサキ単車の昔話
★世界のいろんな国に行ったが、
一番ユニークな印象を持っている国と言えばナイジェリアかなと思う。
人口は2億1000万人もいて、アフリカ州最大の規模である。
19世紀以来の英国による植民地支配が続いていて、
1960年に正式に独立したが、公用語は英語なのである。
アフリカのほぼ中央部に位置している。
1977年8月のことだが、
カワサキが発展途上国へのCKDビジネスをスタートさせた頃で、
ナイジェリアの現地調査に行くことになったのだが、
ナイジェリアに行くにはマラニアの予防注射が必須事項な、
そんな時代のことである。
これが私の初めてのヨーロッパへの旅でもあったのだが、
タイのバンコックからフランクフルト経由ロンドンに入ったのだが、
日本ーバンコックーロンドン経由がおかしいと思われたのか、
私の荷物検査はほぼ1時間ほどトランクの隅々までチェックされたのである。
そして、先ずはマンチャスターにあるPZ本社を訪れ打ち合わせをしたのち、
ナイジェリアの当時の首都ラゴスへ飛んだのである。
とかっこよく言ってるが、ロンドンに二つも空港があるとは解らなくて、
1日目は、ヒースロー空港 に行ったが、ラゴス行の飛行機の便がないのである。
アフリカにはもう一つの ガトウィック空港 から出ていて予定が1日遅れることから始まった。
★ 当時のナイジェリアは石油ブームで、その首都ラゴスは無茶苦茶な混雑ぶりで、
街には車が溢れていて、それも1日ごとに奇数・偶数のナンバーしか走れないように規制をしているのだが、
それでも車がいっぱいでなかなか思うように走れないというような状態だった。
そんな現地にはカワサキから森田君が単身赴任していて、
彼と一緒に行動したのだが、彼も奇数と偶数の2台の車番の車を持っていた。
当時の首都ラゴスはこんな海岸に面した島の上にあり、
こんなに立派なビルが立ち並んでいて、
島の上に立派な街が出来ていて、ここではそこそこ走れたが、
一般原住民の町はこんな混雑ぶりで
どこに行っても人で埋まっているほど人もクルマも多いのである。
原住民はこんな海の上に住んでいたり
そのスラム街はこんな状態だから、
ラゴス島との格差が大変なのである。
ナイジェリアの人達は色は黒いが、
常にニコニコ誰もみんなフレンドリーで
流暢な英語を話すので良かったのだが、
どこに行っても『子供がいっぱい』なのである。
「子どもが多いな」と言うと『あなたは何人か?』と聞くので
「二人だ」と答えたら『なぜ?』と不思議がるのである。
どうやら『避妊』などは全く関係がないのだと思った。
★そんなナイジェリアのラゴスだったが、
ちょっと郊外の販売店なども訪ねたりした。
一歩ラゴスを出ると、人は殆どいないと言っていいほど
閑散としていて、ホントに一局集中なのである。
その時代、ラゴスにもすでにホンダさんは来ていたし、
川崎重工の出先事務所もあった。
このプロジェクトは結局陽の目をみなかったので、
カワサキの二輪部門でナイジェリアを知ってるのは森田君と私だけかも知れない。
日曜日に森田君がテニスをしようと言うので付き合ったのだが、
私はテニスをしたのはこの時だけである。
ミスってばかりだったのだが、ボールを拾う子供たちがいて、
ボールボーイ付きの贅沢なテニスを楽しんだのである。
8月16日(火)から8月25日(木)までの10日間のナイジェリアだったが、
世界にはいろんな国があるのだと実感させて貰ったナイジェリアの旅だった。
もう50年近くも前の話だが、
いまはどうなっているのだろう?