新入社員時代の想い出 その2
投稿者 : rfuruya
★当時の川崎航空機は戦後再開したばかりで、そんなに業績がよかったわけでもないのだが、
私自身は実力で入社出来た訳ではなくて、当時の副社長の砂野仁さんのコネでの入社だったのである。
大学時代は野球一筋で単位は取れていたが可ばかりで、入社試験の面接でも、
「君は成績悪いね」から始まったのだが、
「会社の仕事では絶対に負けないでやれます」と言い切ったのである。
そんなことだったので、多分人事課も企画・経理・勤労などの部門には配属しにくかったのか、業務部財産課への配属だったのである。
その財産課の評判は大学の先輩たちもみんな「地味で面白くないところ」というのである。
確かに、どの部門も大学での社員が何人かはいるのだが、
財産課は課長以外は大学出の人はいないのである。
配属してすぐの課長面接でも、部長面接でも「地味な部門だが、確りやってくれ」と仰るのである。
財産課とは文字通り「会社の財産管理」をやるところで、
土地・建物・機械などから工具器具備品・車両運搬具など取得価格が当時の金で1万円以上のものの管理なのだが、
まだ再開されて5年の新しい会社で、その管理もお世辞にもきっちりできてはいない状態で、
管理台帳も揃っていないそんな状況であった。
その現物管理とともに1年に2回、財産物件の減価償却計算をしなければならなくて、その計算事務を当時の「タイガー計算機」を使ってやるのだが、
それが結構時間と手間が掛かるので、極端に言えばその計算要員として、人が要るのである。
配属されて私が担当になったのは
一番簡単な車輛運搬具と工具・器具・備品で
車両運搬具は車などは殆どなくて構内用の自転車、
工具・器具・備品とは工具や机や椅子などで、確かにそんなにムツカシクはないのだが、
本来なら自転車は兎も角、机や椅子などは取得価格が1万円以下なので、財産物件にはならないのだが、
当時ジェットエンジン工場が新設されたばかりで、
「新設工場は1件300円以上」を財産物件に出来ることから、机や椅子まで300円以上のものががすべて「財産物件」になっているのである。
そんなことから、償却計算する手間は5000円の机も10万円の機械も同じ手間なので、工具器具備品の償却件数はべらぼうに多くて決算期の計算は大変なのである。
さらに、自転車も回転いすなどはよく壊れて、その修理などの手続きなどに結構時間が掛かるのである。
そんなことで新入社員ながら、私の下には女子の社員がいたし、
2年目からは高卒の男子の部下などもいたのである。
★ 机や椅子だから、工場内のすべての課にそれはあるのだが、
その台帳はないし、現物把握は出来ていないし、ただ償却計算だけをやていて「財産管理」などは全然できてはいない状態だったのである。
それをちゃんとした管理台帳を作って、管理できる状況にしようとしたのだが、
課の先輩たちは皆さん、それまでは放置していたものだから、
「それはムツカシイ・不可能だ」などと仰るのである。
ただ、私はそんな状態で放置するのはどうも気に入らなくて、
すべて現物を把握して『固定資産台帳』を創ろうとしたのである。
これは確かに「言うは易い」のだが、各課の現物把握が必要で、
現実には各課の机でも財産物件になっているものと、経費で購入されたものと2種類存在していて、どれが財産物件かという特定が必要なのである。
そんなことで私がやり始めたのは小さな「財産番号プレート」を造って、
それを釘と金槌を使って机や椅子に打ち付けて工場の全課を回り始めたのである。
これは大変な労力は要ったのだが、各課を実際に回っての作業だから、
各課の人たちとも顔なじみになれたし、
「古谷はいつ見ても釘と金槌を持って歩いている」と言われたりしたのである。
全課を回るのに半年以上も掛ったのだが、
その財産物件を管理するために「財産管理担当者」を組織したりしたものだから、
そんな「管理担当者」を入社1年目の私が統括するようなことになって、
全工場に私の顔は売れたし「財産課は変わった」となかなかの評価だったのである。
★ 当時の回転いすは木製だったのだがよく壊れて、
1週間に一度、トラックに満載するほどの修理件数が出るのである。
そんな時、発売になったのが「ネコスの椅子」で
こんな金属製の椅子だったので、それに変えようと提案したら、
それは認可されて、順次木製から金属製へと変更することになったのである。
ちょうど1年目の最後のほうの2月なのだが、
予算があるのでそんなに一挙には変えられないのである。
そしてこれは係員だけではなくて、係長・課長・部長用にそれぞれあて、
みなさん「新しい椅子」を欲しがるのである。
その配分権を新入社員だが私が持っていたので、
各課の管理担当者からいろいろ申し入れがあったし、
部長や課長からも電話があったりするのである。
全部交換するのに3年も掛ったと思うが、こんな件でも結構名前と顔は売れたのである。
そんなこともあって、入社1年目からオモシロイ仕事や、新しい仕事が出来て、私にとっては財産課は「地味でオモシロくない職場」ではなくて、
結構「遣り甲斐のある」職場だったのである。
このように「上司の指示で動く」というようなことは一切なしにスタートが切れたのは幸いだった。
入社1年目からこのような「新しいこと」に取り組めたし、
ちゃんと実績を残すことも出来たので、
2年目以降も「私流のやり方」で仕事を進めれことが出来たのである。
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