梅一輪一輪ほどの暖かさ
投稿者 : rfuruya
★ 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」
そんな時期になった。
松尾芭蕉だろうと思っていたら、
松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪がよんだ句だという。
毎朝走りに行っている三木総合防災公園の梅林は、
いま、ちょうどそんな時期である。
じゃ今は春なのか、冬なのか?
そのあたりがよく解らなくて、この句の解説を読んでみた。
この句の解説を見るとなかなかムツカシイのだが、
この句の季語は「梅」かと思ったら、
この句の季語は別にあって、
実際は実際はこの句は冬によまれていて、
この句が読まれる前には詞書があって、
そこには「寒梅」という冬の季語が用いられているので、
正確にはこの句の季語は「寒梅」だというのである。
さらに、この俳句の意味は、主に2つの解釈があって、
- 「梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる。」
- 「梅の花が一輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっている。」
前者は「寒さの中、ほのかな暖かさにじんわりと心がふるえる様子」
後者は「聞こえ始めた春の足音に心躍らせる様子」となるのだが、
この句は冬によまれたものなので、有力な解釈は前者の方になるという。
なぜ後者のような解釈が生まれたのか。
それはこの句の詠み方にあって、
前者の読み方「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」と【上、中、下】全部に間をつけると、冬になり、
後者「梅一輪一輪ほどの 暖かさ」と【上と中】を一緒に読んでしまうのだと思うと春になるというのである。
そして、詞書が示されなければ、
なおさら春の句なのかなと思い混乱を招くことになってしまったのだと解説されていた。
★ 読んでみて、何となく納得したが、
日本語はなかなかムツカシイ。
ただ俳句は5・7・5と上・中・下に分かれているのが普通だから、
やはりこの句は「冬の句」なのかなと思った。
そういう意味も含めて、撮って来た写真の中から、
たった一輪咲いている「まさに梅一輪」の写真を使ったのだが、
こんなにいっぱい咲いている写真もあったのである。
この写真では何となく、早春のイメージかなと思った。
★まだ我が家の梅はつぼみばかりで、
一輪の花も咲いてはいない。
いまはまだ冬という方が当たっている。
「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という俳句は知っていたが、
この句のこんなに詳しい分析を読んだのは初めてである。
なるほど、これは冬の句だというのがよく解った次第である。
みなさんはご存じでしたか?
拝読させて頂きました。枝垂れの紅梅が咲くと見事そうですね。才谷は白梅で、件の人は其れを名乗りにしたようです。最も好んだ花は白椿だったと土佐の墓守から聞きました。寒椿とは違う白椿だと強調していたのが印象的でした。鰊は変質した風馬の手に落ち、落ち零れは落ち零れのまま巣篭もりに勤しみ、季節は移ろいを花に託し、人世の愚非を無言で憐れめけり。
枝垂れ梅 桃梅桜に続きけむ、美味そう哉と唾液が溢るる 爾故
品町の 風に舞い飛ぶ 製粉の 儚きは終ぞ 跡形も無く 爾故
悲 石面
荷車は 糧を運びて浦々に 馳せ巡り行く 尾身黒める
も
盲目と 片目くもれる 病み馬が 走りて奪う 人の命を
焦らずも 事は成りける 大神と 皇尊の 大御心に
馳せ思う 友が其の友 伴いて 梅見を為する 一時を又
連投稿失礼致します。当家を含む近隣の魚好きの方々の様子を見る限り、海産物には、まだ危険が有ると見受けます。事故当時周辺や、原発周辺の魚類が、最新冷凍技術で保存され、鮮魚そのものとして流通している可能性が有ります。御周知の程を。
魚類食物連鎖の時間差体内濃縮
旧正月は初春なので、和歌読みに季語は分野が違うナリ。爾故