私のアーカイブス・定年後 その7
投稿者 : rfuruya
★ 2007年74歳のこの1年を日記を見ながら、時系列でちょっと追っかけてみる。
● TomとLove この年で12年目になる柴のつがいがいたのだが、
この年の元旦のブログはこの「Tom &Love」で始まっている。
まだ、写真の貼り付けなどは、とてもできなかったのだが
この元旦にこんな写真が載っているのは、自分でやったのではなくて
正月にやってきていた孫・古谷仁がやってくれたのである。
● 前年度から三木の市政のお手伝いみたいなことをやりだしているのだが、
市長とばかり話してても面白くないので、
「若手を集めてくれますか」とお願いしたら、16人ほど集まった。
そんな若手たちとそれ以来、いろいろなことを始めている。
今思うと私も「若かったな」と思ったりする。
この日が2月1日だった。
● 4月22日には三木アネックスパークであった「ビンテージMX」
かっての日本のトップライダー荒井市次と山本隆が現役さながらのデッド・ヒートを見せてくれた。
TOPライダーは歳をとっても流石である。
● 「カワサキの岩崎茂樹のことを書いたブログ」に
熱心なカワサキファンの登山道夫 さんがコメントされて繋がったのだが、
登山さんの緑ヶ丘のお宅を訪ねたのがこの年の5月14日なのである。
これが登山さんとの親密なお付き合いの始まりで、うも14年にもなるのである。
● 前回アップしたった武雄市長の樋渡啓祐さんとは「武雄市長物語」というブログで繋がって、
お互いのブロブの中で繋がっていたのだが、三木市と武雄市が業務提携をすることになって、
樋渡さんが三木にお越しになったのが5月21日なのである。
● 定年後始めた薔薇はこの時期は至極熱心で、
これは義弟が写してくれた写真の一部だが6月にはこんなに咲いていた。
● ゴルフもまだ40台は普通に回れていて
6月22日の三木市のシルバーコンペでは優勝はできなかったが
44・39=83で断トツのベスグロ賞を頂いている。
多分これが私の最後の30台の記録だろうと思う。
● 夏から秋にかけては家内はアメリカの娘のところに出掛けるのが、毎年定例化していて、
この年は8月13日~9月20日まで、その間私は独身生活なのである。
● 私もこの年は10月に息子が北海道に「サケ釣り」に行こうと
誘ってくれて久しぶりの北海道だった。
息子が小学生時代は私がフナ釣りなど引っ張りまわしたのだが、
息子は釣りにハマってしまっているのである。
● この年あたりはネットでは兵庫県のポータルサイト「ひょこむ」に加入して、
熱心にメンバーを集めて活動している。
今は全然ご無沙汰で、ログインの仕方も忘れてしまったが、
日記には「ひょこむ」のことがいっぱい出てくるのである。
● 11月14日、13年近くいた 愛犬Tomが死んでしまった。
晩年は元気がなくなって可哀そうだったが、
娘の長男が生まれた年に家に来たのだが12年間、
殆ど毎朝散歩をしていたトモダチだったのに、
Love1匹になってしまったのである。
● 大阪府知事に橋下徹さんがなるということで
「橋下徹さん」のことを追っかけだしたのがこの年の12月のことなのである。
★ ざっとこんな1年だった。
今までは学校時代の友人とそれ以外はカワサキのそれも二輪の世界の方たちとのお付き合いが中心だったのだが、
この年あたりから、初めて普通一般の社会の方たちとのお付き合いが始まったと言っていい。
それも三木市長さんを中心にした三木市役所の若手諸君や
三木市民の方とのお付き合いも始まったし、
カワサキZの熱烈なファンの登山道男さんとも出会って、
私にとっては74歳にして、初めて「新しい世界」に入ったと言ってもいい。
全くの運動部育ちだから、
私の対外的な対応の基本は世の中の職位などには関係なく、
「年上の方」にはそれなりの敬意を、「年下の方」には思いやりをもって「気安く」という徹底したものだったのである。
一般社会の方との初めての対応が「三木市長」と「武雄市長」という社会的な肩書としては大変な方だたのだが、
後輩であることは間違いないので、今まで通りで対応したのだが、
それは結構そのままで通ったのである。
幸いにして、それ以降今までのお付き合いも
殆どの方が、私よりはお若いので「気安く対応」することが出来て助かっている。
逆に若い方から見ると88歳のおじんは「とっつきにくい」と思われるかも知れぬが、
どなたとでも「気安く喋ることが出来る」のは特技なので、
若い方たちとの対応も、自分では「大丈夫」だと思っているのである。
こんな私にとっては「新しい世界」に入って行ったとも言える1年だったが、
日常生活はブログと薔薇とストレッチ&散歩とたまにゴルフ
といった1年だったのである。