私の履歴書 自分史
投稿者 : rfuruya
★前回まで80歳代から逆に若い時代へと自分の人生を振り返ってみたのだが、
ちょうど真ん中の40歳代の時代になっている。
現役時代は財産課に始まって16回の異動を経験しているのだが、
不思議なことに1回も引き継ぎ書を受け取っていないし、逆に引き継ぎ書も書いていない。
その殆どが全く『新しい仕事』だったのである。
20歳代以降、10年毎に纏めたこんな表があって、
『私の履歴書』と名付けてこんな一覧表に纏めている。
★ 前回まで40歳代の時期の『KHI企画』と『市場開発室』の時代のことを書いてきたが、
その時カワサキの二輪事業は『大変な変動期だった』のだなと今更ながらそう思う。
その時期だけを切り抜いてみると
『経営再建』とか『カワ販再建』などの文字や『ダンピング問題』など
更には『二輪事業撤退の危機』というショッキングな文字が並んでいる。
★こんな事業本部の渦中にあって『私や田崎雅元さん』はその『ど真ん中』にいたのである。
二人とも『課長』の頃で、その中心になって纏めなければならない運命みたいなものを背負っていたように思う。
特に『アメリカダンピング問題』は田崎さんは技術屋なのだが、
直接の担当だったのは1964年に明石工場から初めてアメリカに単身赴任し、アメリカ市場には詳しかったからだろう。
ダンピング対策の具体的な解決案の『国内販社新体制の起案』は、
国内販社のことがよく解っている私が担当することになった、そんな『危機対策コンビ』だったのである。
まさに『大変な問題』ではあったが、結構『ネアカに前向き』に対応出来たのは、
二人とも生い立ちがよく似た『大陸育ち』だったからかも知れない。
口の悪い後輩が『古谷さんや田崎さんは日本人じゃないから』などと言ったりしてたが、
あまり『ものごとに動じない』ところがあったのは間違いない。
田﨑さんは歳では私の二つ下だが、小学校時代は私と同じ朝鮮京城にいたし、
終戦時には満州にいたのである。
確かにこどもの頃から、朝鮮・満州で育ち、終戦・引き揚げなどの、
それこそ『大変な出来事』を経験してるので、そんな風に育ったのかも知れない。
★私は、国内販社への10年間の出向を経て、1975年10月に発動機事業本部企画室に戻ってくるのだが、
この企画室への異動は、私の現役生活を左右する様な『運命的なもの』だったようである。
企画に戻って本社に異動の挨拶に行った時、たまたま山田専務にお会いしたら、『古谷くん、今回は大変だな』と仰るのである。
『発本の企画に戻りました』と言ったら、『それはよかったな』と仰るので直属の部長に聞いてみたら、
『君は本社の中國班から貰いが掛かって、殆ど決まっていたのを取り返してきた』と仰るのである。
ちょうど『日中国交正常化 』が成立して、川崎重工業としても本社に新しく『中國班』を新設すべく、そん人選に私の名前が挙がったようなのである。
それは解らぬではなかった。
私の大学の成績は無茶苦茶悪くて、優は5つしかなかったのだが、
それな体育実技・体育理論と野球部の部長の経済地理と中国語1・2の5つだけだったのである。
中国語は神戸の中華料理店のオーナーの方が先生で、
試験を受けたら殆どの人に『優』をくれるので、別に中国語が話せたりはしなかったが、本社人事の目に留まったのだと思う。
企画室長と勤労部長が本社人事に直談判に行って『取り返してきた』というのである。
山田専務が仰るように、若し『中國班』に行ってたら大変だったかも知れぬし、
或は全く新しい職制だったので『オモシロかった』のかも知れぬが、
発本の企画室ということになって、私の『現役生活の将来』が決まったし、
それ以降も最後まで二輪事業に携わることになったのである。
★今年は3月には88歳の米寿を迎えるのだが、私の80年の人生を要約すると
● 10~20歳代 野球一筋
● 20~30歳代 勉強期間
● 30~40歳代 新しいシステム構築
● 40~50歳代 経営再建
● 50~60歳代 事業経営
● 70~80歳代 引退後の年金生活
こんなことかなと思う。
『家庭は?』と聞かれたら、
20歳代は熱烈な恋愛を経験し
30歳代にはいい子供が出来て
40歳代からこの三木に定住して
50歳代には子どもも独立して孫も生まれ
60歳代は人生で初めてお金に余裕が出来て
70歳代以降はパソコン、ネットの世界に出会って
今の『新しい生活』を結構楽しんでいる。
『異種・異質・異地域をみんな繋いで、楽しくいい時を過ごそう』
という『基本コンセプト』のNPO The Good Times を設立して、
メンバーたちといろいろ交流しているからである。
ネットの世界は世界と繋がっているし、
幾ら上手に利用してもお金が掛からないところがいい。
このブログを転載するFacebook やTwitterには
遠くアメリカからも『いいね』や『コメント』を毎日頂いているのである。
ひょっとしたら、『現役時代』よりオモシロいのかも知れない。
3月には88歳米寿を迎えるのだが、
果たして、いつまで続くのだろうか?