結婚記念日から いろいろと
投稿者 : rfuruya
★ 昨日、12月21日は結婚記念日だった。
結婚をしたのは昭和37年(1962)12月21日、私が30歳の時だから
もう58年にもなる。
年末のこんな押し詰まった日に結婚式を挙げているのは、
会社が無茶苦茶忙しくて、1週間も休むことなど考えられなかった、
そんな時代だったのである。
カワサキが二輪事業をスタートさせて、新しく単車営業課が出来たのが、
昭和36年12月なのだが、その時点から単車営業に異動したのである。
まだ入社4年目の若手ではあったが、実務的には中心に座っていた。
『単車営業』という営業部門ではあるのだが、
『技術・生産部門』以外のすべての業務を担当していたので大変だった。
今の職制で言えば、企画・営業・品質保証関連の業務をすべてこなしていたので、
ちょっと考えられないほどの忙しさだったのである。
そんなことだったので、年末を迎えるこんな時期の結婚式となったのである。
★ 結婚式場を当時は教職員関係しか使えなかった『神戸六甲荘』を
高校・大学を通じての球友であった校長先生の息子の親友小野田尚弘が借りてくれて、
高校・大学の野球部の連中が大勢やってきて、
『忘年会の一次会』にするからと『披露宴』は3時から始まったのである。
ホントに忘年会の一次会のような賑やかさで、
『新郎も歌え』と歌など歌わされて、
私は流石に『披露宴』の席だったので旧制神戸一中の校歌を歌ったのである。
不思議に今でも2番ぐらいまでは歌詞を覚えているのだが、
1番のまさに『我が世の春に似たるかな』の心境だったのである。
一.
群巒色は紫に 金波さ揺らぐ茅渟の浦
東大野を瞳々と 朝日子昇る曙や
希望の光輝ける わが世の春に似たるかな
群巒色は紫に 金波さ揺らぐ茅渟の浦
東大野を瞳々と 朝日子昇る曙や
希望の光輝ける わが世の春に似たるかな
二.
天の霊火を地に呼ぶと 意気の子胸の高鳴りや
自重と自治の旗しるく 咤呼号の五十年
ああ微笑みの誇らひの 歴史の跡ぞ勇ましき
天の霊火を地に呼ぶと 意気の子胸の高鳴りや
自重と自治の旗しるく 咤呼号の五十年
ああ微笑みの誇らひの 歴史の跡ぞ勇ましき
私は神戸一中は旧制の3年間だけで、
高校は学区制が実施されて『明石高校』に転校したのだが、
家内はその後の『神戸高校』だったので、関係あるかなと思ったりした。
声高らかに結構上手く歌えて、
仲人の小野助治さんに『秀逸だ』と褒めて頂いたのを想い出すのである。
仲人の小野助治さんに『秀逸だ』と褒めて頂いたのを想い出すのである。
★ 新婚旅行は北陸から長野に回ったのだが、
結婚式の日は披露宴が終わったのが6時頃なので、
京都のホテルに泊まったのだが、
三宮から京都まで普通の電車だから、駅の見送りなどはなく、
披露宴に出ていた『小野田滋郎さん』が『俺が送ってやる』と3人一緒だったのである。
小野田滋郎さんはあのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さんなのだが、
当時はカワサキ自販の総務務・広宣課長だったのである。
私が人生で一番薫陶を受けた方は『小野田滋郎さん』かも知れない。
陸士出の秀才で、私が広告宣伝やレースの世界を引き継いだのも
小野田さんから引き継いだのである。
カワサキがレースを最初にやったのは『青野ヶ原』ということになっているのだが、
1年前のB7の時代にカワサキ自販で三吉一行などがレースに出ているし、
ヤマハから三橋実を引っこ抜いて『カワサキコンバット』を創ったのは、
小野田滋郎さんなのである。
小野田さんのことは今まで何回もブログにアップしていて、
『小野田滋郎 雑感日記』と検索するとこんな画面が現れる。
そこにいろいろ書いてるので、興味・ご関心のある方は
ご覧になってみてください。
私の人生で、一番影響を与えてくれた人は
『家内と小野田滋郎さん』かも知れない。
そんな人たち3人で新しい人生のスタートでもある『新婚旅行のスタート』を
三宮から京都までの短い区間だが、一緒だったのは不思議に思ったりする。
★ そんな『結婚記念日』なのだが、よくまあ、長く続いたものである。
この数年は12月のこの頃は、アメリカから孫が来ていたり。
昨年は息子も来ていて『結婚記念日』というより
孫や息子中心の1日だったのだが。
今年は『コロナのお陰』で夫婦二人きりである。
しかし、結婚記念日だと言って特に『何をする』でもないのだが、
『昼飯』が鮨になって、小さなケーキが付いたぐらいのことである。
人生で一番長く一緒にいる家内だが、
結婚するまでは、もっと派手なのかなと思っていたのに、
意外に『旧い』のである。
文字通り『家内』で、家の中のことは一切私はしない、
風呂から上がっても、朝起きても、
私が着るものは全て揃えてあって、私はそれを着るだけである。
そんな生活が、あとどれくらい続くのだろうか?
二人の子供たちも、家内が『育てた』といって間違いない。
お蔭様で『いい子に育った』と言っていいだろう
こんなことを静かに思っただけの『結婚記念日』だったのである。