2020年12月5日

旧いカワサキの創生期の写真から  1

投稿者 : rfuruya

 
★ コロナで閑なものだから、旧い日記などを見たりして時間つぶしをしているのだが、
 こんな写真が出てきた。
 昭和38年(1963)5月、青野ヶ原モトクロスでの1位から6位まで
 カワサキが独占したレースの優勝記念撮影なのである。
  
 このレースに関係したのは製造部と営業部で、
 この写真では神武事業部長を真ん中にまさに記念撮影となっている。
 ただ、このレース出場は正規のレース活動などではなくて、
 製造部の有志のメンバーが出場を決めて、それを営業部の有志が支援したもので、
 市販車B8のレーサーに改造作業も、正規の仕事が終わってから
 サービス残業で創り上げたものなのである。
 優勝など思ってもいなかったはずだが、このような結果になったのは、
 『神様が援けて下さった』のだと思うのである。
★ なぜそんなことを知っているのかと言うと、
 当時私は営業部にいて小野助治次長の下にいたのだが、
 営業部でもこのレースを支援した張本人が小野次長なのである。
    小野さんはこのレース活動に、かって野球部のマネージャーをしていた
 川合寿一さんにチームの面倒を見るように指示し、
 私には『残業料もなしにやっているので、パンでも買う金を出してやれ』との指示があって、
 私は営業の経費の中から幾らかの『パン代』を支援したので知っているのである。
 因みに『川合寿一』さんは私の係で私の下にいた人なのである。
 製造部でこのチームの指揮を採られたのが中村治道さんで、
 その下に髙橋鐵さん、実際にマネージされたのは川崎芳夫さんだと思う。
 上の写真を拡大したものだが、この3人の名前が書かれている。
 髙橋鐵郎さんの右隣りが川合寿一さんなのである。
   
★このレースのホントの仕掛け人は、社内の方ではなくて
 間違いなくこの方兵庫メグロの西海義治社長なのである。
    
    西海さんは元オートレースのプロライダーで、レースにかけては玄人、
 当時の兵庫県のMFJ支部長もされていたのである。
 このレースをやるきっかけは、昭和37年(1962年)11月3、4日の両日、鈴鹿サーキットで第1回全日本選手権ロードレースが開催され、
日本では初の本格的ロードレースだったのだが、
このレースをバスを仕立てて、製造部のメンバーが見学に行ったのである。
この企画を仕組んだのも西海さんで、中村治道さん以下、
レースを観人たちは、『燃え上がって』しまったのである。
青野ヶ原』はそれから半年後なのだが、
当時のカワサキにはレーサーのノウハウなどなかったので、
西海さんは子飼いの『松尾勇』さんをカワサキに送り込んで、
松尾さんが独りで創り上げたものなのである。
★それにしても、レース初出場のカワサキが『1位から6位までを独占』するような快挙は、ライダーも社内の人たちだし、
実力ではなく『雨のお陰』だったと言っていい。
当日のレース場はこの写真のように水溜りだらけで、
他メーカーのマシンはみんな水を被って止まってしまったのだが、
防水対策が完全だったカワサキだけが止まらずに完走した結果なのである。
長いカワサキのレースの中でも1位から6位まで独占はこのレースが最初で最後なのである。
ご存じ、山本隆さんなども当時はまだ他メーカーのマシンで参加してたようだが、
やはり水で止まってしまったようである。
   
何はともあれ、こんな結果が『カワサキの二輪事業』の本格的な再建に繋がったのである。
 中村治道さんについては、あまり語られていないが、
 当時のカワサキの二輪事業の先頭を走った方であることは間違いない。
 年次は髙橋鐵郎さんよりもちょっと上で、
 その後、私が事務局を務めた『レース運営委員会』に於いても
 実質的に『旗を振られた』方なのである。
 明石の出身で明石高校の先輩・後輩にもなるので私は特に面倒を見て頂いたのだが、
 兎に角『あんなに熱心で迫力のある』人はいないと言っていい。
 当時の日曜日にあったレースの結果を、正門の横に張りだせと言う指示を受けたのだが、
 月曜日に来て火曜日の朝に張りだしたら、ご機嫌が悪いのである。
月曜日の朝になぜ張らんのか』と仰るのである。
それは・・・』と言ってたら『では俺がやる』と言われて、
日曜日に家でご自分で書かれて、月曜日の朝早く張り出されたりするものだから、
私がやります』とその後は日曜日に家で書いて、
 朝早く正門の横に張り出すようになったりしたのである。
 当時のカワサキの単車事業部を支えた人たちは、
 不思議なほどユニークな人たちが揃っていたと思う。
 何度もご紹介している写真だが、
 この最前列にお座りの方が単車事業を引っ張ったと言っていい。
 真ん中にお座りの方が『兵庫メグロの西海さん』でその左は元川重山田副社長、右が髙橋鐵郎さん(元川重副社長)。
 山田さんのヨコが『松尾勇』さんである。
 そして右から二人目、大槻幸雄さんと並んでるのが『中村治道』さんなのである。
 2列目は左から岡部・金谷・平井・田崎(元川重社長)古谷・安良岡・和田・山本・清原・大西と錚々たるメンバーが並んでいる。
 最後尾の右端が星野一義で梅津と並んでいる。
 3列目以降の左側は現役諸君だが、宗和・多田などの顔を見えるし
 ごく最近までカワサキのレースを引っ張った安井君などもいる。
  
 今回は主としてレースの話に限定したのだが、これら写真に載ってる方とは
 『レース以外』の実務でもいろいろとお付き合いがあったので
 次回に、そんな旧いカワサキの話を纏めてみたいと思っている。

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