新時代『令和』を迎えて
★ 平成の31年が終わった。
昭和の時代は、昭和20年は終戦で、昭和32年に川崎航空機に入社して、昭和48年にZ2が発売されてと『昭和の年号』でその当時を思い出すことが出来るのだが、平成の時代は『西暦』のほうがアタマに入っていて、『平成の年号』で語れるのは『平成31年』だけかも知れないのである。
そういう意味では『西暦』が一般的になったのだが、次の時代『令和』が発表されてから俄然『平成』も言われるようになったのである。
★ そんな新時代『令和』が始まった。
ネットの中でも、いろんなニュースなどが飛び交っている。
平成の幕開けにはこんな『華々しさ』は全くなくて静かに始まったように思う。
『令和元年』 私は齢86歳である。
そういう意味では、『令和5年は果たして迎えられるだろうか?』と思わねばならぬ年代なのである。
今までと違って1年1年を、日々を大事に生きたいとは思うのだが、多分今まで通りの生活になってしまうのだろう。
かって何年か前にオリンピックが決まった時は、『東京オリンピックは果たして見れるのだろうか?』と思ったりしたのだが、あと1年先にあるようなことになると、『当然、見ることは出来る』と思うようになるから不思議である。
人間、『いつかは死ぬ』のは間違いないのだが、50代の頃に『未だ、今は死なない』と思っていたのと、殆ど『同じレベル』で『未だ、すぐには死なない』と思っているから不思議である。
『今欲しいものは?』と言われたら『金や地位や名誉』ではないことは間違いない。
『今一番欲しいものは、やはり健康』かな? と思ったりするが、『健康は既に確保』できている。
『ホントに欲しいものはない=無欲』の境地にあるような気もする。
『一番気になるのは、家内の健康』かも知れない。
幸いにして、一応家内も元気で、家の中のことは私は一切せずに『生きていけている』から、自分のやりたいことが自由に出来ているのである。
あと何年『新しい令和の時代』がいまのままの環境で続くのだろうか?
そういう意味では『令和の時代』に外に求めることは何もなくて、後期高齢者二人がそれぞれ『自ら努力して』いまの生活をどれくらい長く維持できるのか?ということなのかなと思ったりしている。
新しい時代を迎えたからと言って、そんなに『ムツカシク』考えずに、今まで通り『自然に生きる』のがいいのかも知れない。
人間、夫々その人に備わっている『運』みたいなものを持っているので、『なるようにしかならない』のかも知れない。
『新時代「令和」を迎えて』もう少しかっこいいこと言おうかと思ったが、結局『何もない』ようなのである。
その第1日目は、朝8時半に三木総合体育館のジムに行って、トレーニングして、3キロぐらいスロージョッギングを30分、50メートルダッシュを6本ぐらいして、そのあとプールで泳いだら、まずは午前中は終わってしまうのである。
午後は、『何をする』ことになるのだろうか?